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August 10, 2011

『漢詩を読む1』

Kansi_1

『漢詩を読む1』宇野直人、江原正士、平凡社

 『李白』『杜甫』に続く平凡社の漢詩プロジェクト2期。いずれも、NHKラジオ第二放送で放送されている〈漢詩の来た道〉を元にしています。

 今回は副題に『詩経』、屈原から陶淵明へ』とあるように、漢詩の始まりともいえる『詩経』から、知識人というか高級役人が悲憤慷慨するというパターンが出来はじめ、弾圧を防ぐための婉曲な表現が発達し、やがて陶淵明によって生身の自分を詩に投げ出せるようになるまでを解説しています。

 この1巻だけでも完結しているな、と思うのが「帰去来兮辞」の「兮」。帰去来兮は「帰りなんいざ」という全ての読み下し文の中でも最も素晴らしい一文で有名ですが、その中の「兮(ケイ)」は『楚辞』に特徴的な、句の調子を整えるために挿入された助字。すべて詠み人知らずで北方の歌だった『詩経』に続く南方の歌主体の『楚辞』には、初めて屈原など作者が現れますが、同時に屈原や宋玉は天下国家を改善しようとした知識人が、それを果たせず悲憤慷慨するというパターンをつくります。

 しかも屈原から陶淵明という時代のくくりは、いわばシャーマンだった屈原が、より合理的な儒家にとって代わられ、やがては晋のように形骸化し、陶淵明のように公然と疑問を呈するようになるという大きな流れも内包しています。

 なかなか通俗的な論語理解では理解しにくいと思いますが、何回か触れられている「子曰、君子固窮。小人窮斯濫矣」という言葉は、例えば新約聖書でいえば罪に関して弟子たちが何回も師であるイエスに訊いた時のような迫力がある言葉です。

 「子曰く 君子もとより窮(きゅう)す 小人窮すればここに濫(みだ)る」というのが孔子の返答。これは孔子一行が七日の間飲まず食わずの状況に陥った時に、弟子の子路が「君子も窮することがあるのか」と怒りをぶつけたことに対して、「君子といえども窮することはある。小人は窮すると自暴自棄となってしまう。君子と小人に差はこれだ」というものでした。おそらく、多くの不遇な知識人たちは、この論語・衛霊公篇を思い出しながら、自らの境遇を詩に昇華させていったんじゃないかな、なんて思います。

 三国志演義で有名な曹操、曹植、曹丕親子の詩も読んだことがない方にはお勧めします。曹植は杜甫が現れるまでは最大の詩人と呼ばれていましたし、曹丕はその子である明帝時代に卑弥呼が使者を遣わしたことでも有名です(魏志倭人伝)。

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