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July 09, 2011

『平安京遷都』

Heiankyou_sento

『平安京遷都 シリーズ日本古代史4』川尻秋生、岩波新書

 明治期の国家戦略の中で、平安時代は中国の模倣だったということで否定される対象になっています。明治天皇も最初は白粉を塗ってお歯黒を付けるという典型的な公家の有様で、こうした唐制が明治四年まで続いたものの、その後は軍服を着るようになるなど、新たに天皇が政治・軍事の実権を握っていた飛鳥・奈良時代が理想の時代として浮上してきます。

 これは、正岡子規の『古今和歌集』の否定にもつながりますが、確かに『古今』はあまり面白くないけど、そこまで否定するのはなぁ…という長年抱いてきたこの疑問に本書は応えてくれました。

 なんと、『古今』が醍醐天皇によって編纂を命じられた延喜五年(905年)当時、生存していた詠者の《多くが宇多天皇および醍醐天皇の血縁者、あるいは近臣であり、陽成天皇の縁者はわずか》だそうです(p.134)。それまで、天皇は(54)仁明天皇以降

(55)文徳天皇―(56)清和天皇―(57)陽成天皇

という系統から(58)光孝天皇―(59)宇多天皇―(60)醍醐天皇に移っており、その正統性を示すために編纂された可能性がある、というわけなんですね。だから、お手盛りで選ばれたつまんない歌が多かったのかな、と。

 ま、それはさておき。

 平安京の遷都を決めた桓武天皇は母親が百済系渡来人の子でしたが、キサキとはいつても妃―夫人―嬪という序列の中の夫人であり、本来、桓武天皇には皇位継承の資格はなかったものの、他戸の廃太子によって、皇太子が転がり込んできた、とのこと。また、道鏡の経験からも、平安京は東寺・西寺といった官立寺院を除けば長岡京や平城京からの寺院の移転、新たな建立を許さなかった、いうのも知りませんでした(p.5)。

 ただし、エミシとの38年戦争に勝利をもたらした坂上田村麻呂は例外だったようです。清水寺は彼の開創で、嵯峨天皇は彼の死に臨んで、今は西野山古墳と呼ばれる墓所に正倉院に匹敵する鏡や大刀を葬ったそうです(p.39)。

 桓武の時代は比較的気候で安定していたほか、唐や新羅の衰えで、対外的な備えをエミシ対策や造都に投入することができたというまとめは、まるほどな、と(p.42)。

 また、日本の仏教界の2人のスーパースター、空海と最澄に関しても、長年の疑問が解けました。ともに遣唐使で唐に渡った空海は、805年に青龍寺の恵果に師事します。恵果は金剛頂教と大日経の継承者であり、その恵果から空海は教典・曼荼羅・法具を授けられました。巨人・恵果の弟子は千人を超えていたそうですが、この三つを授けられたのは若くして亡くなった義海を除けば空海だけだったとのこと。つまり、真言宗は完成された形態として日本に来た、と(p.73)。

 一方、天台宗は最澄自身が空海から灌頂を受けたり、教典の貸し出しを求めるなど未完成だったため、《後に円仁や円珍のような入唐法僧が現われたし、鎌倉仏教の担い手たちの多くも、天台を出発点としながら、新たな宗派を興したとも言える》というのは納得的でした(p.77)。宗教なんつうのは、未完成で不安定だから、発展するんですもんね。キリスト教なんかも、三位一体なんていう不安定なドグマがあるから、新しい時代に合わせてダイナミックにいろんな人が出るというか、傍から見ればばかばかしいほどの発展をしたんだと思いますし。

 さて、飛鳥時代以前の天皇といいますか大王は、甲冑を着て戦闘を指揮したりするので、大人の能力が求められていましたが、いよいよ幼帝の時代に突入します。政治の安定化によって「政を摂る」摂政や、「政務を関かり白す」関白が出現します(p.96-)。幼帝の出現で天皇は儀式を除いて政務に関わらなくなり、それは院政期まで続くことになります(p.103-)。

 また、宇多天皇の時代は近臣を積極的に位置づけるという大きな事態の転換期となります。その代表が菅原道真で、藤原氏の影響力を排除しようとします。この試みは失敗しますが、次の醍醐天皇も長い治世の間、関白を置きませんでした。

 しかし、こうした中で天変地異は日本を襲っています。貞観6年(864年)には富士山が大爆発、貞観11年(869年)には東北地方で大地震が発生、貞観16年年(874年)には開聞岳が噴火、仁和3年(887年)には東南海あるいは南海地震が発生、延喜15年(915年)には十和田火山が大噴火します。

 そして、こうした中で、平安朝貴族の恐怖の記憶を残す事件が発生します。もちろん、それは承平5年(935年)~天慶4年(941年)にかけての平将門と藤原純友による承平・天慶の乱です。結局、将門の乱を鎮圧した平貞盛と源経基の二つの家系が武士の棟梁となっていきます(p.184)。これは貴族たちが、将門の乱を鎮圧した一族に「辟邪の武」を感じたからだ、といのうは面白かったな。

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