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July 07, 2011

『「つながり」の精神病理』

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『「つながり」の精神病理』中井久夫、ちくま学芸文庫

 いつものように箇条書きで。

 《患者になる人は幼い時から一家の調停者であったかもしれない》というのは悲痛な話です(p.37)。

 また、核家族の問題もいわれますが、日本では秀吉が大家族の禁を発していて、中国ですら「四世同堂」は有産階級の象徴で一部にしか実現しておらず、戦後の日本で問題となるのは、オジオバとオイメイ、イトコ同士の交際と相互扶助の減少であり、これが一般に大家族の崩壊と受けとられていた、という指摘は新鮮でした(p.39)。個人的なことを言えば、ぼくは核となる家族にはあまり恵まれませんでしたが、祖母やオバ、イトコたちには恵まれていて、それでプラス・マイナスゼロだったのかもしれません。

 秀吉の大家族の禁は、旧家での本家と分家の分離はだいたい七~八代から十数代前に起こっていることからもわかる、というのもなるほどな、と(p.68)。戦前は戸籍上は大家族だったから、核家族は戦後のことだと思われている、と(p.105)。

 また、精神病院はハプニングが乏しい場であり、それが「精神的な貧しさ」の大きな要因だという話にはうならされました。

 患者さんが面接を終えて部屋を出て行ってから戻ってきて話す内容というのは重要な事柄が多いというのは、個人的にもわかります。例としてあげられている《新聞記者が本音を記事の最後の二、三行にチョコチョコと書くことがある》というのが、すごく理解できるから(p.52-)。

 母方のオジオバが客観的にものを見ている場合が多いというのも、以前にも読んだような記憶がありますが、今回は詳しく書かれていたかな。父方の場合には「○○家」を背負ってるからちょっと違う、と。しかし、母方の場合は、「家」の価値観から離れて自由に見られる、と。そして、一人っ子が多くなってくると、これからはオジオバという貴重な資源が減ってやりにくいだろう、という話まで出てきます(p.65-)。

 ニューギニアなどの大家族では子供ができると母親が「これが父親」と指名した人がその子の父親になる、という話は、吉本隆明さんも日本の夜這い文化というかか若衆組みたいな中で語っていたと思いますが、それより、ニューギニアでも神聖な場所に使える巫女は処女でなければならないけど、中には子持ちの巫女もいて、それは社会が公認したら処女ということなんだ、という話も面白かった(p.79)。これなんかは、マリア伝説の古い構造を表しているかもしれないとか考えましたよ。

 神経性食思不振症の人は、思春期に入った後も、友人宅で晩ご飯をよばれたことがない人が多い、というのもすごい話だな、と。こう考えると、いろいろ食べさせてくれた中学生時代の友人のお母さんに感謝するとともに、ぼくはかなり恵まれていたのかな、なんて考えてしまいます。

 家に客が来なくなったことは、もっと注目すべきで、その分、子どもの人間体験は限られているというあたりは考えさせられましたね(p.110)。

 本物のスパルタ教育というのは、エリートを親から早く引きなして行うものだけど、戦前の体罰を伴うタカ派的教育にスパルタという言葉が誤用されたのは、それを示す「やまと言葉」がなかったからだ、というのは面白いな、と思いました(p.107)。

 サザエさん一家には思春期の少年少女がおらず、登場人物の年齢を十年上げてみると、あの世界は成り立たないというあたりの話も面白かった(p.121)。

 人間は三十歳を過ぎると解体を起こしにくくなる代りに、根本的変化も起こりにくい、というのもなるほどな、と。笠原嘉先生は、絶望している患者にとにかく、三十まで生きてみなさい、あなたの中で何かが変わり何かしら生きやすくなるから、と助言するそうです(p.138-)。

 重し話が多いので、今日はこれぐらいで。

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