« 京はやしやの「京おばんざいプレート」 | Main | 『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』 »

July 21, 2011

『世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊』

World_risk_beck

『世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊』ウルリッヒ・ベック、ちくま学芸文庫

 そういえば…と朝日新聞が5月にウルリッヒ・ベックのインタビューを載せていたわな、と思い出し、それを探して改めて詠んでみるとともに、『世界リスク社会論』もパラパラと読み直してみました。『世界リスク社会論』はこうした災害や事故が起こることを想定していたかのように、昨年、文庫化されていますんで、ご興味のある方はぜひ、ご一読ください。

 『世界リスク社会論』のポイントは、気候変動やグローバル化した金融市場、テロリズムといった近代社会の生み出したリスクは制御できない、というペシミスティックなものです。その典型としてあげられているのが原子力発電所事故で、だから保険制度も適用されない、というのがその証左だとしています。また、9.11のようなリスクに対しては、個々の国民国家だけでは対応することができずに、グローバルな同盟が必要になってくるとともに、新自由主義的な安全をないがしろにした規制緩和圧力に対しても、紛争調停の専門組織が必要になってくる、というような話しです。

 ふたつの講演が収められているんですが、その最初の講演のラストに引用しているカントの「公民法に従い世界市民社会と一致するような成因として自分をみなせることは、人間が自分の決定について考えることができ、情熱的に考えることのできもののなかで、もっとも崇高な理念である」というのは印象的でしたが、同時にちょっと理想主義的だわな、とも感じていました。

 例えば、グリーンスパンが《商業銀行は百年に一度しか必要にならないほどの資本を、いつも備えることに強く抵抗し、百年に一度の事態が起これば、破綻するリスクをとることを好んでいる》から、金融システムの100年に一回の危機は中央銀行が担うべきだ、という迫力には及ばないかな、と感じます(『波乱の時代 特別版 サブプライム問題を語る』p.46)。

 ということで、今だ、原発問題に関しては、「世界が原子力を捨てない以上、彼らには最先端の技術で運用してもらわなければならない。その時、日本の技術・経験上の備蓄も大きな意味を持つのではないか」という柏木孝夫東工大教授の意見が最も説得力のあるものだと感じています。

「原発事故の正体」(ウルリッヒ・ベック) 朝日新聞2011年5月13日朝刊オピニオン面

インタビュアー
--今日の世界にとって、福島の事故はどんな意味を持つのでしょう。

ウルリッヒ・ベック
「あのような大災害がおきたときに、私たち人間は何の備えもできていない、ということです」

--あのような、とは?

「人間自身が作り出し、その被害の広がりに社会的・地理的・時間的に限界がない大災害です。通常の事故は、たとえば交通事故であれ、あるいはもっと深刻で数千人がなくなるような場合であれ、被害は一定の時間、一定の社会グループに限定されます。しかし、原発事故はそうではない。新しいタイプのリスクです」

「そんな限界のないリスクをはらんでいるのは、原子力だけではありません。気候変動やグローバル化した金融市場、テロリズムなどのほかの多くの問題も同じような性格を持つ。近代社会はこうしたリスクにますますさらされるようになってしまいました。福島の事故は、近代社会が抱えるリスクの象徴的な事例なのです」

--なぜ、そのようなリスクが広がっているのでしょうか。

「近代社会では、人間の意思決定がリスクを生み出しているからです。近代化というプロセスと深く結びついています。新しいテクノロジーが開発されたり、投資活動が進んだりしたから生じているのです」

--日本では、多くの政治家や経済人が、あれは想定を超えた規模の天災が原因だ、と言っています。

「間違った考え方です。地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ企業であれ、人間が決めたことです。自然が決めたわけではありません」

「18世紀にリスボンで大地震が起き、深刻な被害が出たとき、当時の思想家たちは、どうして善良な神がこんな災害をもたらすのかと考えた。今日、神を問題にするわけにもいかず、産業界などは自然を持ち出すのです。しかし、そこに人間がいて社会があるから自然現象は災害に変わるのです」

「これはとても重要なことですが、近代化の勝利そのものが、私たちに制御できない結果を生み出しているのです。そして、それについてだれも責任を取らない、組織化された無責任システムができあがっている。こんな状態は変えなければいけません」

--原発が大災害を引き起こす確率は低いと言われていました。

「たとえ確率が千年か一万年に一度だと言われていても、こういうことは起きるのです」

「19世紀、欧州などでは、近代という時代が生み出す不確実性やリスクに対処するための仕組みが開発されました。たとえば、失明したり腕を失ったりする危険に向き合うために、お金で補償する保険という仕組みが発達した。これは進歩を可能にするために社会契約だったともいえます」

「ところが、保険制度は原子力事故のリスクに対応しきれません。備えられている額は、必要な額よりははるかに少ない。実際のところ、保険という仕組みを超えているのです」

--つまり、問題の大きさに見合う解決策がないということですか。

「現代の問題を19世紀の枠組みで解決しようとするのは誤りです。たとえば、複数の化学工場からの有害な排気にむしばまれた町の住人が、賠償を求めて裁判を起こす。ところが被害は明らかでも因果関係がはっきりしないからと裁判で負ける。また、チェルノブイリ原発事故による犠牲者について、数十人という見方もあれば、はるかに多い数を挙げる説もある。なぜ、そうなるのか。事故の影響が広範で複雑で長期にわたるからです。チェルノブイリでは、まだ生まれていない人が被害者になることだってあるかもしれない」

「私たちが使っている多くの制度が、元来はもっと小さな問題のために設計されていて、大規模災害を想定していないのです」

「私たちは、着陸するための専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、離陸してしまったようなものです。あるいは、自転車用のブレーキしかついていないジェット機に乗せられたともいえるかもしれない」

--今、日本では被害の補償問題でもめています。

「問題が起きて、その負担を国や市民に回すのなら、それは資本主義ではありません。同じ議論は金融システムについても言われました。巨大銀行は危機に備えなければならなかったのに、そうしなかった。そして国がその後始末に乗り出した。これはまるで社会主義、国家社会主義(ナチス)です」

--近年、温暖化問題への解決策として再び原子力への注目が集まっていました。

「原子力依存か気候変動か、というのは忌まわしい二者択一です。温暖化が大きなリスクであることを大義名分に『環境に優しい』原子力が必要だという主張は間違いです。もし長期的に責任ある政策を望むのであれば、私たちは制御不能な結果をもたらす温暖化も原発もさけなければなりません」

「ただ、明日にでもすぐそうしなければならないと言っているわけではありません。多分長い時間が必要。しかし、そこを目指せなければならない。ドイツ政府は福島の事故の後、原子力政策を検討する諮問委員会を作りました。私も参加していますが、政府に原子力からも温暖化からも抜け出すタイムテーブルを求めることになるでしょう」

--第2次世界大戦後、日本の政治指導者たちは原子力を国家再建の柱の一つと考えました。しかし福島の事故では、それが国家にとって脅威となっています。

「昨年の秋、私は広島の平和記念資料館を訪れ感銘を受けました。原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心の声となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が、原子力に投資し原発を建設してきたのか。疑問に感じました」

「確かに原子力政策は国家主権と深く関わっている。ドイツにもそうした面はあるけれど、今、ドイツではこういう考えが広まっています。他国が原子力にこだわるなら、むしろそれは、ドイツが新しい代替エネルギー市場で支配権を確立するチャンスだ、と。今は、この未来の市場の風を感じるときではないでしょうか。自然エネルギーへの投資は、国民にとっても経済にとっても大きな突破口になる」

--制御不能なリスクは退けなければならないといっても、これまでそれを受け入れて来た政治家たちに期待できるでしょうか。

「ドイツには環境問題について強い市民社会、市民運動があります。緑の党もそこから生まれました。近代テクノロジーがもたらす問題を広く見える形にするには民主主義が必要だけれど、市民運動がないと、産業界と政府の間に強い直接的な結びつきができる。そこには市民は不在で透明性に欠け、意志決定は両者の密接な連携のもとに行われてしまいます。しかし、市民社会が関われば、政治を開放できます」

「ドイツのメルケル首相は、温暖化問題の解決には原子力は必要だと考えていました。しかし、福島の事故で、彼女は自分が産業界の囚われ人であったと感じたのではないでしょうか。彼女は初めて市民運動の主張をまじめに考えなければならなくなり、委員会を作り、公に議論する場を設けた。産業界とは摩擦が起きるでしょう。しかし、これは政治を再活性化し、テクノロジーを民主化します」

「産業界や専門家たちにいかにして責任を持たせられるか。いかにして透明にできるか。いかにして市民参加を組織できるか。そこがポイントです。産業界や技術的な専門家は、今まで、何がリスクで何がリスクでないのか、決定する権限を独占してきた。彼らはふつうの市民がそこに関与するのを望まなかった。

--日本でも「原子力村」と呼ばれる閉鎖的なサークルへの批判が起きています。

「ドイツでも80年代まではそうでした。しかし、その後変わっていった。こういうときは、世界に自らを開き、もっと協力しあわなければなりません。グローバル時代には、どんな国の国民も、これらの問題を自分たちでは解決できません」

|

« 京はやしやの「京おばんざいプレート」 | Main | 『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/52271318

Listed below are links to weblogs that reference 『世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊』:

« 京はやしやの「京おばんざいプレート」 | Main | 『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』 »