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June 20, 2011

『旅する力 深夜特急ノート』

Midnightexpress4

『旅する力 深夜特急ノート』沢木耕太郎、新潮文庫

 『深夜特急』はもちろん大好きな作品ですが、リアルタイムでは読んでいません。沢木さんの作品は『敗れざる者たち』からの比較的熱心な読者であり、「一瞬の夏」は唯一、新聞小説で読み通した作品でした(新聞小説はそれ以前も以降も、楽しみに読めるということはありませんでした)。

 でも、『深夜特急 第一便~黄金宮殿』が出た86年には、すでに社会人となっていて、しかも、当時から今も続けている商売をなげうってまで、長期の貧乏旅行に出かけることは難しくなっていました。さらにいえば、すでにバブルの時代に突入していた日本は「ヨーロッパ2週間で100万円」みたいなコースにポーンとカネを出してくれたりしたんですね。ぼくが、初めてヨーロッパを訪れたのもこのぐらいで、まったく今考えると何をやっていたのか…と笑ってしまうのですが、「それまで頑張った自分へのご褒美」にスイスでパテックを買ったりすることが可能になっていたんです。

 同世代の友人たちには『深夜特急』を読んで熱病に浮かされたようになったのもいましたが、ぼくは、少し冷めた目で見ていました。「いまさら、あんな旅むりでしょう」みたいな感じで。

 実は、ぼくもできたらタイからマャンマー、バングラディッシュ、インド、バキスタン、アフガニスタンを通って、イスタンブールに抜けるという旅をしてみたいと思っていた時期があったんです。それはNHKで見た、「アジアハイウェイ」という番組でした。確か、小学校高学年というか70年ぐらいに見て、強い影響を受けました。特に、カイバル峠。アレクサンダーがやむなく引き返したその峠からインド亜大陸を見下ろしてみたい、と子供っぽく思ったわけです。ところが、ようやくそうした冒険が可能な歳になったと思ったら、タイからミャンマーなんて簡単に入れなくなっていましたし、ましてやアフガン戦争が始まってからは、カイバル峠からの絶景を楽しむなんてことは戦場カメラマンぐらいにしてできなくなっていきました。

 『深夜特急』の沢木さんはジャスト・イン・タイムで間に合っているんです。1970年のアジアハイウェイネットワーク設定作業で、アフガンのAH1号線を含む5本のAH路線はたぶん舗装されたんだと思います。78年にはすでにアフガニスタン紛争が始まっていますから、1973年という年は、そういうことが出来るほぼど真ん中の時だったのかもしれません。

 チラチラと友人たちから中身を聞かされていたぼくは、なんとなく恨めしくなってずっと『深夜特急』を読まないでいました。そして、第三便が出るのを待ち焦がれ、最後には諦めたようになっていた友人たちに対しては、少し勝ち誇ったような気分になっていました。

 バブル崩壊が深刻なものと理解されるようになった1992年に『第三便~飛光よ、飛光よ』は出ましたが、まだその時点でも読みませんでした。

 しかし、個人的にようやく読んだのは新潮文庫本になった94年です。3月に併せて『第一便~黄金宮殿』となる1~2巻が出て、4月に併せて『第二便~ペルシャの風』となる4~5巻が出た頃になって、ようやく勝手な思い込みにも決着がついたような気になって読み始めたら止まらなくなり、最後の『『第三便~飛光よ、飛光よ』はハードカバーで買うというバカなことをやりました。

 とまあ、いち読者にしても、様々な思いを抱かせる『深夜特急』ですが、著者がいわば第四便と呼ぶ『旅の力』も文庫本まで待ちました。

 この本では16歳の時に経験した旧国鉄の均一周遊券を使った東北旅行が旅の原点として語られます。それは《自分で稼いだ金を使い、自分で計画し、自分だけで旅をやり遂げる》《しかも、この旅では、実に多くの人からさまざまなかたちで親切を受けた》というものでした(p.38-)。

 この法則からすれば、富士銀行への初出社の日に退社した以降、どうにかフリーのノンフィクションライターとして一本立ちして、TBS系の「調査情報」を拠点に活躍し、旅の資金を得るところから書かれなければなりません。ぼく個人は、比較的熱心な読者程度でしたので、沢木さん本人の個人史はここで初めて知ることになります。

 旅の中での感想でなるほどな、と思ったのは《宿も、かりにどんな安宿でも、中国人が経営していかぎりは最低の清潔さは保たれていたし、食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理しているかぎりは火の通った安全な食べ物を提供してくれる》(p.144)というあたりでしょうか。

 また、学生時代にカミュを読み続けていたというのも知りませんでした。『深夜特急』でもペストの舞台となったアルジェリアのオランにも行って海を見てみたかったけど寄らなかった、ということだったので(p.187)、今度の冬ぐらい行ってみようかな、と思っています(ちょっと言うのも恥ずかしいぐらいのプチカミュ好きなんでw)。

 旅先から友人たちに送った手紙とノートを突き合わせながら『深夜特急』の旅を再構成するという手法を説明する中で選ばれたのが、カトマンズから30時間以上かけて乗ってきた鉄道を下りた後のカンジスのフェリーだったというのも嬉しかった。一緒に強行軍を共にしてきたイギリス人が「ブリーズ・イズ・ナイス」とつぶやく場面です。

 もう最後にしますが、『深夜特急』を書く上で大きな影響を受けたという小学館でスピリッツを創刊したという白井勝也さんという方の言葉は「なるほどな」と思いました。すでに70年代後半の時点でマンガは「アクション」から「リアクション」の時代になっていた、というんです。そういう流れから紀行文には「リアクション」が大事だ、ということはわかりますが、それはハードボイルド小説でも同じで、マーロウもアーチャーも事件を解決できるかどうかは本質的な問題ではなく、《彼らが都市を「旅」する過程で遭遇する「風」にどうリアクションするかなのだ》(p.269)というあたり。

 ここからは少し、この本とは離れますが、どうしてサッカーの宇都宮徹壱さんの作品に惹かれるのかな、という個人的な疑問に解答のフォルムが与えられたと感じました。

 未読の『一号線を北上せよ』も注文しました。

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