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May 21, 2011

『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』

Fukkou_nakai

『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』中井久夫、みすず書房

 みすず書房が東日本大震災を受けて、『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』に続いて緊急出版した本。今回は『昨日のごとく 災厄の年の記録』から中井先生の文章を抽出し、そこに新たな文章一篇とあとがきを加えたもの。

 東日本大震災をふまえて中井先生は、本文中でも繰り返し書いているように、あとがきでも《情報は必ず「時遅れ」である。特に公式の情報が甚だしくそうである。ボトムアップという日本方式が時遅れをさらに大きくする》と述べ、それを補う想像力を持ってほしい、と訴えています。《情報はイマジネーションがなければ意味をなさない》とまで語っています(p.35)。

 このほか、繰り返し書かれていたのは、災害の周辺部で疑心暗鬼による自警団的な動きが出やすい、ということ(p.27)。《中心部にあるのは端的な恐怖と悲嘆であるが、周辺部にはまず不安があり、疑心暗鬼が発生しやすい土壌がある》というあたりはなるほどな、と。

 もうひとつは心筋梗塞の多さ。《人々の期待に応えるために働いた無理が心臓に来ていると私は思う》というのは重い言葉だと思います。そして、入浴直後や、自宅に向かうタクシーの中なども危ないそうです。《一気に力を抜いてはよくない。徐々に力を抜かなければならないのである》というのも、もし東北の方々がご覧になっていたら、参考にしてください(p.49)。

 また、自殺は男性に多く、女性にはPTSDが多いというあたのもなるほどな、と(p.122-)。

 それと「戦闘消耗」を防ぐためにも3週間程度で休暇を与えなければならない、ということも繰り返し語っています。「戦闘消耗」とは、ベテラン下士官などが、もうどうにでもなれ、と銃を捨てて寝そべってしまう現象だそうです(p.79)。

 阪神大震災で初めて精神医学が社会的に認知された、と年配の医師が語っていたというのは、痛切な話だと思います(p.89)。治らないと言われていた統合失調症の患者に寄り添っているだけ、と他の医師からは見られていたたとも語られていました。同時に、統合失調症患者はかかりつけに医師に対してボランティアに行くことを勧め《「せんせい、いってらっしゃい」「まだ行かないのですか」という言葉は、統合失調症患者ならではということを、ぜひ知ってほしい》、というあたりも印象に残りました(p.90)。

 アウエハントの『鯰絵』によれば、江戸末期、地震は略奪によって金持ちになれるチャンスととらえられていたという話も印象的(p.92)。

 東京に直下型地震が起こった場合、一級河川で援助は阻まれるかもしれないということを、関東大震災の時に外部から一番乗りした朝日新聞の記者は山梨県から奥多摩に入ったというルートの紹介で指摘しているあたりも怖かった(p.16)。府中市から下流には12本しか橋がかかってない、というあたりも(鉄道、高速道路を除く)。また、大英博物館に匹敵する蔵書を持つ神田の古本屋街の対策を訴えているあたりも印象的(p.21)。

 また、古い食べ物でもよく咀嚼して嚥下すれば若い人は胃酸が殺菌を行ってくれるが、水で胃酸が薄まるので食後30分は水分を取らない方がいい、というアドバイスは初めて聞きました(p.126)。

 長期的な問題として指摘しているのは、阪神淡路大震災によって発生した火災は、山陽本線の8本の線路を容易に飛び越えるほどで、木が植えられていなければ防火上は意味がないというか、樹木はそれだけ偉大だったということを述べているあたりでしょうか(p.7)。

 ぼくなんかは多少、揺られたぐらいでしたが、それでも《被災した頭は冷静な読書ができない》ということは経験しました(p.39)。ふだんイヤイヤ飲んでいる薬物を、災害時には患者が求めたというのも、わかるな、と思います(p.55)。

 いろいろ、情報の出し方でヒステリックになっている方も見られますが、《うっかり言えないのは、予言が暗示になってしまうことがあるからだ》というあたりは、ぼくは納得できます(p.72)。だいたい、自分の周りもそうでしたが、当日はヘタレこんで何もできなかったような人間に限って、後で不安にかられて文句を言いだす、という傾向は確実にありましたし、まあ、実際のところ、少なくないですから。

 中井先生は年齢的に、戦争用語を多く使われると思うのですが、「ヘイタイには食わさにゃ」といっていたシニアの医師たちが言っていたというあたりは微笑ましいと感じるとともに(p.126)、東日本大震災でもあきらになったことだが、朝鮮戦争のときには占領下の日本の医学生が朝鮮戦争の遺体処理を担当していたという話しは痛切でした(p.158)。

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