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May 15, 2011

『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』

Gotouda_yaguchi

『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』御厨貴、朝日新聞出版社

 『情と理 後藤田正晴回顧録〈上〉』『情と理 後藤田正晴回顧録〈下〉』に関しては、いろいろ書いていますし、今回の対比列伝形式のオーラルヒストリーの比較でも、最初に読んだ時とほぼ、同じようなところに感心していますので、司法行政のスペシャリストだった矢口洪一元最高裁判所長官のことを中心に書いてみようと思います(残念ながら『矢口洪一 オーラル・ヒストリー』政策研究大学院大学、2004年は非売品ですし)。

 一読、まず改めて思ったのは、司法修習生から裁判官になった人間というのは、本当にリアルに世間知らずなんだろうな、ということ。裁判員制度がスタートしたのも、実は、そうした内部の深刻な危機感があったんじゃないかな、と心配になってきました。司法制度改革審議会の会長として制度改革を進めたのは京大の佐藤幸治教授でしたが、憲法が専門の佐藤教授に大きな影響を与えて実質に会議の方向性を主導したのたのは、同じ京大出身の矢口洪一元最高裁長官だったと言われていますし。

 いろいろ問題点が挙げられています。

 例えば、司法修習生を終えた司法官試補は二年ぐらい法壇の後ろの方にいて傍聴しているだけ。つまり、司法試験さえ合格してしまえば、一年半の司法修習生の期間とあわせて3年半あまりも、社会人の基礎を習得しなければならないような時に、あまり有意義に過ごしてはいないように感じます。

 矢口元長官が比較するのは、国家公務員。キャリアの国家公務員も批判の対象にはなっていますが、最初の2年間ぐらいは属官(最下級の役人)として国会議員の質問取りとか、想定問答集づくり、通達などの原案づくりに追われながら鍛えられていく、と(p.38-)。一方、司法官は、裁判に関しても実のところ、実務にはまるで携わっていない、と。しかも、他の役所のように地方自治体に出向して外で鍛えられることもない、と。矢口氏は、司法官の研修制度にも力を入れた方だと聞いていますが、ぼくもそんな一貫として民間企業に出向してきた方の、あまりにも浮き世離れした言動に呆れたことがあります。

 裁判員裁判の制度をスタートさせた考え方の基本というのは、《事実認定で迫ればよいのであって、法の解釈による法律論で争っても無意味》というものだと思いますが(p.43)、そうした考え方を持つに至ったのは、矢口氏が海軍の法務官として、軍法会議を経験したこと。

 海軍は鎮守府が四つしかないので、任官した佐世保鎮守府には沖縄を含めた九州一円と愛媛県から毎日、二十件ぐらいが憲兵から送られてきたそうで、とにかく、それを処理しなければならない。そこで矢口氏が感じたのは「犯罪というのは、大体若い人がやりますね」「若い人から性を取ったら、どうにもなりません」というリアルすぎる感想。そして、裁判というのは難しくなく「窃盗なんて、山ほどあっても、ほとんど書くこともない」といいます。だから《裁判の本質は、精密な判決を書くことにあるのでは》なく、事実認定さえすればいい、と結論づけます(p.26)。理屈を言うのではなく、事実認定だけして、それを法律にあてはめたらどうなるかということを簡潔に書けばいい、と(p.47)。

 ここらへんの考え方というのは裁判員裁判の根底にあるんでしょうね。市民から選ばれた裁判員が裁判官とともに審理して、事実認定した後は、裁判官にやってもらう、と(実際は、刑期にも強い意志が働いているようですが…)。

 さらに司法というのは行政や会社とは違うということばかりを強調してきたので、特殊な人間ばかりになってしまった、と嘆くのです(p.42)。そして、「長官は、ちょっと前なら宮澤喜一さん、今なら小泉純一郎さん、そういう人がやるべきだと思う」とまで語ります(p.79)。

 最高裁判所の改革などを進めたミスター司法行政といわれながらも、最後は「裁判で勝負する」という方向になっていくところが、この人の面白さだと思います。例えば、ハンセン病で一審判決が出たら、総理大臣、官房長官から大臣まで「悪かった」というようになった、と。昔なら、担当大臣などは相手にせず、せいぜい課長クラスが「不当判決」というぐらいだったのが、変ってきている、と(p.153-)。

 検察制度に関しても、いろいろ言っています。検察は捜査をやめて、政治犯的犯罪は内閣直属の特別検察官みたいな制度にしたらどうか、と語っています(p.179)。

 最高裁判所の大法廷で15人の裁判官がいても、本当に議論を左右するのは長官を含めて数名だそうで、実際、どんなことをやっているのか、あまり好きな言葉ではないのですが「見える化」をする必要があると感じました(p.187)。だいたい、最高裁では事実認定もやりませんし(p.221)、《訊かれて、意見がないというのもなんだから、『多数意見に同意見だ』と言う》ような最高裁判所の裁判官もいるようですし(p.230)。

 まあ、全体が《一審が思い切ったことをやって、二審が宥める。そして、三審の最高裁が、あるとき二審判決を破棄して、一審判決に同調するという図式》だから仕方ないのかもしれませんが(p.234)。

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