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April 22, 2011

『初期マルクスを読む』

Early_marx

『初期マルクスを読む』長谷川宏、岩波書店

 初期マルクスといえば、ヘーゲルの克服というのは、一度はかぶれた人であれば、誰でも思いつくことではありますが、長谷川さんは《マルクスから入っていってヘーゲルを読むというふうにはしたくなかった》ということでヘーゲルについて修士論文を書いたそうです。そしてアカデミズムからはあえて離れてヘーゲルの主著の翻訳を終え、自分なりの考え方を少しずつ自分の言葉でいえるようになったと、感じられるようになって、改めてマルクスを読むことにした、という序章は時代背景も、そこから強いられた長い研鑽の日々を感じられて感動的でした(pp.6-7)。

 いつものように箇条書き的に印象に残ったところを。

 ドイツ観念論は考える時の構図の設定の仕方に特徴があり、それは単独の個人を考える主体として設定することであり、こうした構図が成り立つのは、近代的な個人が人々の中で十分、理解されていたから、というあたりの整理の仕方はなるほどな、と(p.10)。

 カントは感性や理性を純粋に透明化していけば真理に達することが可能だと考えたけど、それは神の声を内面で聞けると主張していた近代以前の考えと実は大きな違いはなく、ヘーゲルはフランス革命や産業革命、国民国家の成立といった社会的な激動とを結びつける形でさらに先に行こうとした、と(p.11-)。そして、自らが対象としている世界にたいして、強い肯定感を持つことで、体系的な哲学をつくりあげていった、と(p.15)。

 このようにヘーゲルには《歴史を大きく包みこむ近代》という壮大なイメージがあるのですが(p.19)、マルクスは近代を強く肯定できない。そこがマルクスのヘーゲルに対する違和感になっていく、と(p.20)。

 ヘーゲルの『法哲学要綱』では、家族や市民社会というのは矛盾に満ちたものだが、最後に国家が大きく覆いをかけて全ての矛盾を解決する、という展開になっているのですが、そうしたところにもマルクスは強い違和感を覚えて、批判します(p.28-)。そして民衆が最も地に足がついた存在してある、というのが『ヘーゲルの法哲学批判序説』だというのが長谷川さんの解説。

 また、『ユダヤ人問題について』では、強烈な金銭的価値観をアイデンティティとして持っていることを認めつつ、それをどう乗り越えていくを考えるというのが主題である、というのもわかりやすかったですね(p.38)。

 『初期マルクスを読む』では、このあと『経済学・哲学草稿』をじっくり読んで、最後に『ファイエルバッハに関するテーゼ』『ドイツ・イデオロギー』『共産党宣言』『経済学批判のために』『資本論』をバーッとおさらいする、という構成になっています。

 やはり、ご自身でも翻訳されている『経・哲草稿』に一番、熱が入っていましたね。

 マルクスは《多くの人がいて、互いに言葉を交わし、共同作業する。そんな人間というものの総体はいったいどうやって登場したのか》(p.94)というあたりから、《労働そのものが、歴史を貫いて人間世界に大きな広がりをもたらし、人間のあいだをつなぎ、人間と自然とのあいだをつないでいく、本質的な活動だ》と考えたのですが、それが《これほどにも豊かなものであるはずの労働が、近代社会のなかではこれほどにもゆがめられ、つぶされていく》(p.97)ことに怒りを覚えたというあたりの書きっぷりは好きです。

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