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March 03, 2011

『詩のこころを読む』

Ibaraki_noriko

『詩のこころを読む』茨城のり子、岩波ジュニア新書

 茨城のり子さんのことは、単に知っているというか、二三の有名な詩を覚えているだけのファンだったんだな、と思います。

 というのも岩波ジュニア新書に収められている『詩のこころを読む』みたいな中高生向けの素晴らしすぎる本を読んでなかったですもんね。

 『詩のこころを読む』は1979年10月22日が初版。六本木ABCで求めたのは2010年8月25日に印刷された第70刷。30年間で70刷ですから、平均年2刷っつうんですから、版元にとって、こんなにありがたい本もないですよね。

 『トイレの神様』の元歌のような『便所掃除』濱口國雄があることも知りましたが、とにかく、選ばれている詩がすべて愛おしい。

 ということで、どうやって紹介したらいいのかわかませんが、紹介されている詩の中で、まいったな、と思うのをいくつかあげることで、それにかえたいと思います。

 できましたら、ここを読んでいただいている皆さま、ぜひ、『詩のこころを読む』を買うか、紹介してある詩人の詩集を購入してください。

 引用されている詩は別として、本文中の茨城さんの文章で好きなのは以下のところです。

 いずれにしても、わけもわからず、憎んでもいないよその国の人々と殺し合いの羽目に至るよりは、ぐうたらでも、ちんたらでも、なまけものでも卑怯者でも、そのほうがはるかにましです。めったなことに寂しさの釣りだしにあわない男女がふえてくれば、どの国も一番手ごわい敵を内部にかかえこんだことになるでしょう。  そうすれば、ほとほとばかばかしい「国家」なるものも解体されてしまうかもしれません。
 以下は、茨木さんが選んで載せている詩です。
 『I was born』 吉野弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いて行くと 青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女は行き過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受け身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に語りかけた。

―やっぱり I was born なんだね―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―I was born さ。受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見にすぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんなことがひどく気になった頃があってね―
僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或る日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物をとるのに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね。>そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―


 『悲しめる友よ』永瀬清子
女性は男性よりさきに死んではいけない。
男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、またそれを被わなければならない。
男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するであろうか。
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らない
とか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。
これらの事はどこの田舎の老婆も知っていることであり、女子大学で教えないだけなのだ。

 『祭』 ジャック・プレヴェール

おふくろの水があふれるなかで 
ぼくは冬に生まれた
一月の或る夜のこと 
数ヶ月前の
春のさなか
ぼくの両親のあいだに 
花火があがった
それはいのちの太陽で 
ぼくはもう内部にいたのだ
両親はぼくの体に血をそそいだ 
それは泉の酒だった
酒蔵の酒ではない 

ぼくもいつの日か 
両親とおなじく去るだろう。


「海で」 川崎洋

今年の夏 ついこのあいだ
宮崎の海で 以下のことに出逢いました
浜辺で
若者が二人空びんに海の水を詰めているのです
何をしているのかと問うたらば
二人が云うに
ぼくら生まれて始めて海を見た
海は昼も夜も揺れているのは驚くべきことだ
だからこの海の水を
びんに入れて持ち帰り
盥にあけて
水が終日揺れるさまを眺めようと思う
と云うのです
やがて いい土産ができた と
二人は口笛をふきながら
暮れかける浜から立ち去りました
夕食の折
ぼくは変に感激してその話を
宿の人に話したら
あなたもかつがれたのかね
あの二人は
近所の漁師の息子だよ
と云われたのです

 『老後無事』 河上肇

たとひ力は乏しくも
だし切つたと思ふこころの安けさよ。
捨て果てし身の
なほもいのちのあるままに、
飢ゑ来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れ去ればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世になくも、
われはひとりわれを羨む。

『便所掃除』濱口國雄

 扉をあけます
 頭のしんまでくさくなります
 まともに見ることが出来ません
 神経までしびれる悲しいよごしかたです
 澄んだ夜明けの空気もくさくします
 掃除がいっぺんにいやになります
 むかつくようなババ糞がかけてあります

 どうして落着いてしてくれないのでしょう
 けつの穴でも曲がっているのでしょう
 それともよっぽどあわてたのでしょう
 おこったところで美しくなりません
 美しくするのが僕らの務めです
 美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

 くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
 静かに水を流します
 ババ糞におそるおそる箒をあてます
 ポトン ポトン 便壺に落ちます
 ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します 
 落とすたびに糞がはね上がって弱ります

 かわいた糞はなかなかとれません
 たわしに砂をつけます
 手を突き入れて磨きます
 汚水が顔にかかります
 くちびるにもつきます
 そんな事にかまっていられません
 ゴリゴリ美しくするのが目的です
 その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
 大きな性器も落とします

 朝風が壺から顔をなぜ上げます
 心も糞になれて来ます
 水を流します
 心に しみた臭みを流すほど 流します
 雑巾でふきます
 キンカクシのうらまで丁寧にふきます
 社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

 もう一度水をかけます
 雑巾で仕上げをいたします
 クレゾール液をまきます
 白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
 静かな うれしい気持ちですわってみます
 朝の光が便器に反射します
 クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

 便所を美しくする娘は
 美しい子供をうむ といった母を思い出します
 僕は男です
 美しい妻に会えるかも知れません

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