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March 21, 2011

震災とヴォネガット

Vonnegut_3

 東日本大震災の後、カート・ヴォネガットの作品を思い出すことが多くなっています(実は、まだ、新しい本を読もうという気がなかなか起きません)。

 東京電力福島第一原発の危機が伝えられることが多くなっていった時に、思い出したのは、『スローターハウス5』で初めて読んだ、ラインホルト・ニーバーの祈りでした。

 大木英夫さんによる『終末論的考察』*1もありますが、ぼくは、違うバージョンを元にした、『スローターハウス5』の伊藤典夫さんの訳に親しみを感じます*2。

神よ
願わくばわたしに、変えることのできない物事を受けいれる落ち着きと
変えることのできる物事を変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵をさずけたまえ

 いま、かなり確信しているんですが、ヴォネガットが描きたかったのは、コミュニティの大切さんなんだと思います。

 今回、計画停電が進む中で、「お、俺も第一グループ」という親近感がTwitterなどで芽生え始めたのを見た時には不思議な感動を覚えました。みんなちょっとした身内がほしいんだな、と。

 そんな中で思い出したのが『スラップスティック』。

 『スラップスティック』の主人公は荒廃したアメリカで大統領選挙に出馬し「もう孤独じゃない! LONESOME NO MORE!」というキャンペーンで当選。ダフォディル-11、ウラニウム-3などのミドルネームを米政府が発行し、多くの擬似的なイトコや兄弟姉妹を創造してコミュニティ復興を目指します(もちろん失敗するのですが)。

 ヴォネガットの主人公は割と裕福な人間が多いと思います。しかし、幸せではない。身内を欲しがっている。『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』はその典型でしょう。

 そして、ヴォネガットが、アメリカ社会をどう見ていたかを示す箇所があります。それは弁護士が得ることのできる魔法の一瞬について書かれた、この箇所です(P.14)。

 「大きな財産譲渡には、かならず魔法の一瞬があるものだ」これがリーチの言葉だった。「つまり、ある人間が財宝を手ばなし、それを受けとるべき人間がまだ受けとっていない、その一瞬だ。機敏な弁護士はその一瞬を見逃さず、魔法の一マイクロ秒だけその財宝をわがものにし、カスリをいただいて、つぎにまわす。もし、その財宝を受けとる人間が、よくあるように、富というものに慣れておらず、劣等感や漠然とした罪悪感を持っていれば、弁護士はその財宝の半分をとっても、なおかつ受取人から感きわまったお礼の言葉を捧げてもらえる」
 こうした生き馬の目を抜くような社会はごめんだ、というのがヴォネガットの主張です。

 そして、主人公であるウルトラ大富豪であるエリオット・ローズウォーターは、自分で良心の共同体をつくります。そして、有志消防団に肩入れします。エリオットは最後に大きなトラブルに巻き込まれるんですが、そんな彼を、ヴォネガット作品の狂言回しであるキルゴア・トラウトは、こう弁護します(浅倉久志訳、P.289-)。

 「エリオットさん、あんたが有志消防団に献身的な奉仕をしたのも、やはり実に健全なことなんですよ。なぜならば、火災警報が鳴りひびいた瞬間から、もうアメリカではほとんど見られなくなった熱狂的な愛他行為が、そこに展開されるからです。 消防士は、相手がどんな人間だろうと関係なく、救出に行きます」(中略)。
 「つまり、そこでは人間が人間として扱われている。これは、めったにないことです。そこからわれわれは学ばなくちゃいけません」

 ハイパーレスキューの記者会見で、三人の隊長たちを見ながら、さかんに思い出していたのは、このところでした。

*1
The Serenity Prayer

God grant me the serenity to accept the things I cannot change;
courage to change the things I can;
and wisdom to know the difference.

Living one day at a time;
Enjoying one moment at a time;
Accepting hardships as the pathway to peace;
Taking, as He did, this sinful world as it is, not as I would have it;
Trusting that He will make all things right if I surrender to His Will;
That I may be reasonably happy in this life and supremely happy with Him Forever in the next.
Amen.

Reinhold Niebuhr

後半部分の私訳は以下

一日を生き
一瞬を喜ぶ
苦しみも平安への道として受け入れ
望むものではないにしても、罪深い世界を彼のようにあるがままに理解し
彼の意志に身をゆだねれば、全てをあるべき姿にしてくれると信じ
現世ではそれなりの幸福を、来世では彼と共に至高の幸せを感じらますように。
アーメン

*2
God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
courage to change the things that should be changed,
and the wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr, "Justice and Mercy", Harper & Row, 1974

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Comments

もうすぐ5月までに原稿用紙換算で500枚の投稿小説をかくことにしました。ブログではそのくんれんとして「医師と哲学者」「教育哲学ショートショート」物語りの考え方をまとめた『まわる神話構想ノート』を断片のようにかいています。ロシア文学とラテン文学のエキスをもらってかいていけたらと考えています。小説は実家にサリンジャーの nine storiesがありました。
 村上春樹さんの小説と通じるものがあります。

Posted by: tanabehajime | March 24, 2011 at 08:29 AM

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