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February 06, 2011

『シリーズ中国近現代史4 社会主義への挑戦 1945-1971』#3

Nankin_chise_ka

 改めて思ったのがアジアの国々の近現代史の浅さ。

 シンガポールがマレーシア連邦から追放される形で独立したのなんて1965年のことですもんね。まあ、台湾というか中国だって1911年の辛亥革命から今年でやっと100年ですから。日本の150年の歴史というのは、すごいアドバンテージだった、ということを実感しました。そして、アドバンテージを当たり前のこととずっと感じていた世代が、それがなくなってきた現代にどう対処したらいいのか、ということも、こうした本を読むことの意味なんだろうな、と。

 後半はほとんど文革です。まあ、連合赤軍事件を拡大したようなといいますか、人間の愚かさを人海戦術で拡張したらああしたことになるのかな、という感じで、改めて批評する気にもなりませんが、やはり知らなかったことはたくさんありました。

 それはソ連との関係。64年10月のフルシチョフ解任を受けて開かれた中ソ両党会議の場で、ソ連の国防省だったマリノフスキーが周恩来らに対して「我々はすでにフルシチョフを追放した。こんどは、あなたがたが毛沢東を退陣させる番だ」と囁いたとされる事件があったらしんです。それが毛沢東の猜疑心をかき立て、劉少奇たちへの対抗意識を先鋭化させていった、というんですね(p.143)。

 文革の発端は、毛沢東を諫めて失脚した彭徳懐事件を暗に賞賛しているのではないかという歴史劇『海瑞免官』を批判した姚文元の評論(ちなみに姚文元というのは四人組の中でも最も品の悪そうな顔してますよね)。当時、毛沢東が影響力を直接行使できたのは江青が人脈を持つ文化宣伝部門だった、というのもなるほどな、と(p.154)。だから、文革、と。そして元来は軍の教育用だった毛沢東語録を振り振り武闘に繰り出したんですなぁ。

 また、文革世代はアメリカのベビブーマー、日本の団塊世代に当たり、中国経済の停滞の中でなかなか職につけずに鬱屈していたというのも、なるほどな、と(p.159)。鉄道による文革の聖地巡りが奨励されたことによって、石炭輸送が滞り、工業生産全体が多大な損失を受けたなんていう話は、冗談みたいですよね(p.163)。

 こうした混乱が続く中、台湾の国民党では本省人(台湾人)を徐々に受け入れ、経済発展していきました。さらに、韓国も朴正煕大統領による開発独裁が成功し、中国は取り残されていきます。

 1968年には文革の影響で大学入学者の募集業務が停止されたため、1000万以上の高校生が進路を決められない状態となり、「上山下郷」の名の下に農村に送り込まれます。こうした「知青」の悲しみを歌った「南京知青歌」は有名みたいです(p.179-、写真)。

 文革のもたらした混乱は軍によって収められ、秩序は回復されますが、そうした事態が文革派にとって面白いハズはなく、1969年の中共9回大会で毛沢東の後継者に指名された林彪の地位は最初から不安定なものだったというのは知りませんでしたね(p.183)。

 大躍進、文革のもたらした経済的低迷を表す数字として凄いなと思ったのは、1952年と1965年の比較。小売店は420万店舗から88万店舗へ、飲食店は85万店から22万店へ、各種サービス業の店は45万店から19万店へと減少していること(p.192)。

 また、ベトナム戦争支援で中ソは意外にも協力し、中国軍は水雷除去などで1100人以上の死者と4300人の負傷者を出していたというのは知らなかったですね(p.150)。

 ということでシリーズ4は終了。次は鄧小平の活躍する5冊目となります。

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