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January 07, 2011

『シリーズ中国近現代史2 近代国家への模索 1894-1925』#3

『シリーズ中国近現代史2 近代国家への模索 1894-1925』川島真、岩波新書

 本論とは関係ないところで「ほーっ」と思ったのは以下の記述。

 一九世紀末には日本よりも劣勢にあったアメリカの太平洋艦隊は、一〇年弱のうちに創業を続け、〇七年には対日戦を想定したオレンジ・プランを作成、日本側でもアメリカを仮想敵国とする帝国国防方針が策定された。

 こうした緊張関係の中で、08年の高平=ルート協定で、日本はアメリカのハワイ支配、アメリカは日本の朝鮮・満州支配を容認し合うんですね。

 著者が割とこだわっているのが、一等国、二等国、三等国などのいい方。

 いまでは差別用語ともとらえられかねないこうした言葉ですが、当時はれっきとした秩序がありました。それは例えばハーグ平和会議での常設仲裁裁判所での判事数。英米独仏墺伊露日の一等国が任期12年の判事を出し、二等国は10年、三等国は4年、四等国は2年の判事しか出せなくなっていました。こうしたことは、他の国際会議でも踏襲され、可視化されていきます(p.107-)。

 こうした中で、清朝も1905年には、司馬遼太郎が「国家見物」といった明治維新直後の岩倉使節団のような漫遊使節団を各国に派遣します。で、明治政府を実な見習おうとしたんですが、まあ、遅かった、と(p.112-)。

 まあ、後は、鉄道利権の売却に端を発した地方の叛乱によって、あっけなく清朝は倒れます。梅屋庄吉が撮影した辛亥革命に関する映像というのは、今でも貴重なものになっているというのは、大きな救いです(p.135)。

 こうした中で、日本の駐華公私が、今後は王朝交代のたびに呼称を変更するのではなく、「支那」と呼ぶことを提起したというのは印象的な話でした(p.136)。

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