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January 03, 2011

『シリーズ中国近現代史2 近代国家への模索 1894-1925』#1

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『シリーズ中国近現代史2 近代国家への模索 1894-1925』川島真、岩波新書

 えー、昨年の「今年の一冊」を変則的ながらも岩波新書の〈歴史シリーズ〉にさせていただいたので、さっそく、これを紹介したいと思います。このシリーズでは3巻の『革命とナショナリズム 1925-1945』石川禎浩が先に刊行されてしまい、なんか「いやー、研究対象が大陸だと、研究者たちもおおらかなのかな」と思ったのですが、一読、刊行が遅れた理由がわかるような気がします。

 〈あとがき〉で著者は、この時代は地理的、人的、政治的、思想的に「中国の輪郭」が育まれたと同時に、中共支配の現代では見ることのできない様々な可能性が示された時代だと書いています。と、同時に、日米露英仏独など様々なプレーヤーに翻弄され、その政権を担っている人々はそのリアクションに疲れ果てて為す術を失う一方、それに幻滅した一般民衆による救国運動がアナーキーに展開され、混沌にあえいでいた、とも感じます。

 中国語でモダンは「魔登」と書くそうですが、近代と訳した日本人と比べて、その時代に否応なく引きずり込まれた恐怖を反映しているんじゃないかな、とも感じましたね。

 印象的だったのは45頁に掲載されている義和団の一員とされる若い男性の写真です。ちょっと足りなさそうな感じも受けますが、純粋そうです。こんな人々が、紳士顔をしつつ、中国での利権を貪りまくっていって欧州勢の欺瞞に反発し、「順清滅洋」から「扶清滅洋」というスローガンを掲げてキリスト教の宣教師を殺害したり教会を破壊していきました。その運動を担っていたのは、北京や天津といった大都市で季節労働者として蔑まれていた山東省の人々だというのも納得できるストーリーです(p.47)。

 そして義和団の動きが北京に迫った時、西太后は「今日の中国は積弱すでに極まっている」としてこうした人心に頼ることを決意して、清は八カ国連合軍(独墺米仏英伊日露)に宣戦を布告、敗戦後の賠償金なども致命傷となって、求心力を失っていきます。変わって政治の中心に躍り出たのが、義和団鎮圧にあたって列強の信頼を集めた袁世凱です。

 1900年に始まった義和団事件は1901年に北京議定書で終結しますが、これに乗じた満州占領から撤兵しないロシアを見て警戒した日本とイギリスは1902年に日英同盟を結びます。そして、日露戦争が1904年ということですから、義和団事件の与えた影響というのは、大きかったんだな、と改めて思います(p.56)。日露戦争で清は善意の中立をもって臨み、戦争終結後、袁世凱などに勲章が授与されたというのは知りませんでしたね。

 同じ頃、中国内部で進行していったのが、科挙の改革で、留学生に科挙合格者資格を与えるとともに、日本を中心に大量の留学生を送り出すようになります(p.66)。この中に蒋介石や中共の創始者である陳独秀がいるんですねぇ(p.72)。こうした動きは、主に第一大戦後の労働力不足を補おうとすることを目的としたフランス留学生とは対照的だったと思います。ぼくは鄧小平などがなんでフランスに留学できたのかな、と思っていましたが、その理由のひとつがわかったような気がします(p.166)。

 ということですが、まだまだ詳しく復習したいと思いますので、今日は、この辺で。

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