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December 31, 2010

今年の一冊は岩波新書の〈歴史シリーズ〉

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 今年読んだ和書は約125冊でした、量だけでなく、内容も薄まってきたんじゃないかと思っていますが、まあ、恒例なので、今年読んだ人文系の新刊65冊のうちから、まあ、冬休みにでもお勧めできる本を選びつつ、個人的な感想の整理をやってみました(年末に韓国に行っていたので、いつもより一週間ぐらい遅れて、大晦日になってしまいました)。

 今年得た、最大の知見は、『縄文聖地巡礼』坂本龍一、中沢新一、木楽舎から発しています。最後に紹介されている『DNAでたどる日本人10万年の旅』崎谷満、昭和堂によると、アフリカから出た3つのDNA系統(C、DE、FR)は世界の多くの地域では、そのうち2つの系統しか残っていないそうです。それなのに日本で3つとも残っているのは、集団同士の殺し合いが少なかったことをうかがわせる、という話はどこかホッとさせられましたし、そうあってほしいと感じる日本人像を得た思いです。また、稲作は江南から伝わったけど、江南人のDNAは少なく、小さな集団でやってきたけど、あっという間に伝播したというのも、初めて聞く話で感動しました(p.190)。

 ということで、さっそく『DNAでたどる日本人10万年の旅』を読んでみましたが、結論的にいえば日本列島はC、DE、FRに大きく分けられる3つのグループのヒト集団が世界で唯一、共存している地域であり、特にD2に分類されるDNAを持つグループは日本列島にしかまとまっておらず、その希少なグループが使っていた言語が日本語として残っているため、日本語は他の言語との比較が不可能だった、といいうあたりには猛烈に感動しました。3回あったといわれる出アフリカのヒトグループがユーラシア大陸で互いに激しく生存の場を争っているうちに、敗者たちがカラフト、朝鮮半島、沖縄列島などから次々と日本列島にたどり着き、その豊かな自然環境に守られたことで、他のグループと絶滅をかけてまで争うことなく共存する道を選び、いまの日本をつくったというストーリーは、妙に納得できるものがありますし、ストンと胸に落ちるものがあります。個人的に世界観が変わったかもしれないと思ったのが、日沼頼夫先生の『新ウイルス物語 日本人の起源を探る』を読んで以来信じていた成人T細胞白血病の細胞分析からくるアイヌ・沖縄同根説が違うかもしれないという話と、琉球語には西九州の影響が強く残っているというあたりですかね。同じ日本語でも東北地方では時制の発達が未熟で「でした」と「です」の時制的区別は生じてないのに、山陽以西の西日本では「食べた」「食べとった」「食べよった」がそれぞれアオリスト、過去未完了、過去完了という複雑な時制を表しているというあたりも初めて知る話でしたので、驚きました。とにかく、ものすごくインパクトを与えてくれたんで、不覚にも今年出版されていたというのに今気づいた『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史―日本人集団・日本語の成立史』を読んでみようと思っています。

 もうひとつは『私の日本語雑記』中井久夫、岩波書店から得た、日本語に対する新たな視点です。《講演の「あのー」は割り込みではない。二つの言葉の間で迷ったり、次に語るべきことは何かと記憶を呼び覚ましたりするための小休止である》(p.5)というあたりは驚きました。「センテンスを終える難しさ」で、ブラジル人の女性医師が語ったという《ある主張をしながら表情をみていて、相手の表情から「あ、まずい、相手の見解は反対だ。機嫌を損ねてしまうだけに終わる」と判断すると、最後のところで「…というようなことはありません」とか「とは思ってもみませんが」とひっくり返せばよい》(p.17)という日本語の便利さは目ウロコ。そして《対話性を秘めている日本語の文章には第三の聴き手がいて、本当の対話相手は目に見えない、いわば「世間」のようなものではないかと思えてくる。「ではなかろうか」「というわけである」「なのである」などと言うのは世間というアンパイアの賛成を得ようとしてのことではないだろうか》(p.33)という考察にはうなります。日本語は動詞に動詞を重ねてゆくことができるというポーランドの言語学者の寄稿の紹介もあっと思いましたし、《日本語は、本来品詞の区別のない中国語の語彙に、「てにをは」の格助詞を付けて名詞として、「す(する)」を付けて動詞として、「たり」「なり(だ)」をつけて形容(動)詞としてそれぞれ機能させ、小辞は「すなわち」「それ」などと読み替え、既存の文法的小道具を採用して、この大孤立語をまんまと膠着語に変えてしまった》(p.92-)あたりも、なるほどな、と。

 同じく精神科医の『精神医学から臨床哲学へ』木村敏、ミネルヴァ書房では、以下の文がショックでした。《S・フロイト(一八五六~一九三九)の精神分析に始まる力動精神医学や心理療法の諸流派も、今日用いられている向精神薬が、仮に、もう一世紀も前に開発されていたとするならば、現在のような隆盛は見なかったのではないか。「無意識の精神病理」と総称することのできるこれらの理論はすべて、安易に抗不安剤に頼ることなく、長期間にわたって患者の人性そのものを治療対象とする臨床が生み出したものにほかならない》(p.308)。

 ということですが、冬の読書としてのお勧めは以下の10冊をあげておきます。

『人を惹きつける技術』小池一夫、講談社プラスアルファ新書)
『孫の力 誰もしたことのない観察の記録』島泰三
『日本の聖域(サンクチュアリ)』「選択」編集部、新潮社
『縄文聖地巡礼』坂本龍一、中沢新一、木楽舎
『私の日本語雑記』中井久夫、岩波書店
『「普天間」交渉秘録』守屋武昌、講談社
『ポールソン回顧録』ヘンリー・ポールソン、有賀裕子 (訳) 、日本経済新聞出版社
『和解する脳』池谷裕二、鈴木仁志、講談社
『精神医学から臨床哲学へ』木村敏、ミネルヴァ書房
『腐った翼 JAL消滅への60年』森功、幻冬舎

 で、毎年、選んでいる「今年の一冊」ですが、ちょっと違うかもしれせんが、岩波書店の〈歴史シリーズ〉にしようと思います。〈シリーズ 日本近現代史〉の第一巻『幕末・維新』が刊行されたのは06年11月。そして、今年になって《日本の近現代史をどう見るか》で完結したのですが、さらに〈中国近現代史〉と〈日本古代史〉の刊行がスタートしました。版元としても手応えがあったんだと思います。これまでの〈講座〉シリーズよりも著者への実入りもいいでしょうし、一冊はひとりの筆者が担当するということで上梓までのゴタゴタもないと思います。次は日本中世史、西洋中世史など、どんどん出していってほしいと思いました。ということで、いつもながら、なにも差し上げられませんが、岩波の編集にパチパチと拍手を差し上げたいと思います。

 ちなみに、前はこんな感じでした。

2009年の今年の一冊は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子


2008年の今年の一冊は『もうひとつの視覚』グッデイル/ミルナー

2007年の今年の一冊は『一六世紀文化革命』山本義隆

2006年の今年の一冊は『昆虫 脅威の微少脳』水波誠、中公新書


2005年の今年の一冊は『聞き書 宮澤喜一回顧録』御厨貴、中村隆英

2004年の今年の一冊は『グノーシス』筒井賢治

 以下は、今年刊行された人文関係の本の感想です。

『定食学入門』今柊二、筑摩新書
 今柊二さんは、今年、個人的に発見したと感じるライターのひとり。もっと大きくなれると思うけど、こういう人を育てるという編集がいない、というか、版元にカネがないということを感じる。

『人を惹きつける技術』小池一夫、講談社プラスアルファ新書
 「カリスマ劇画原作者が指南する売れる「キャラ」の創り方という」副題が、内容をそのまま表している。古代の人間は、大自然の力を前に、「神と悪魔」というキャラクターをつくり、豊作や豊漁の時には神に感謝し、旱魃や不作に襲われた時には「悪魔」のせいにして、心の安寧を得た、というんですから、まさにキャラクター原論。キャラクターは一人では起たない。主人公、ライバル、引き回し役の三つのキャラクターがつくる三角形が、キャラをいきいきと動かし、主人公には「弱点」と「オーラ」を、ライバルには「欠点」と「カリスマ性」を、引き回し役には主人公を紹介する役割だけでなくトリックスター的な要素をつける、というんです。テレビのワイドショーがなぜ面白く、NHKのニュースがなぜつまらない印象を与えるのか、というのは、ワイドショーは互いにキャラを起てあっているからだ、というあたりもなるほどなぁ、と。さらにキャラには人生を決める「大きな願い」、生活態度を決める「中ぐらいの願い」、趣味嗜好を決める「小さな願い」をつけるとヒットする、なんてあたりもスゴイ。

『老化はなぜ進むのか』近藤祥司、ブルーバックス
 第11章「老化を防ぐ処方箋」を読むと、個人的に意識できるアンチエイジグとは、日本でも平均して6~ 7年あるという寝たきり期間を短くすることであり、その原因となっている脳卒中と心疾患、脳卒中予防に加えて骨折・転倒や関節炎を予防するという運動疾患対策がターゲットになる、ということがハッキリとわかりました。

『孫の力 誰もしたことのない観察の記録』島泰三、中公新書
 島泰三さんは名著『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』で存じ上げていましたが、その島博士によるご自身のお孫さんの“観察記録”。すごいなと思ったのは2点。「霊長類における破壊衝動の根は深い」(p.28)といったあたりと、イヌは命令-服従型だが、サルは命令-欺瞞型でり、禁止によって人間の赤ん坊は育つことなく、禁止されると裏をかく方法を探す。だから「サルも人も命令では動かない。ただ賞賛によって動く」(p.30)というあたり。《脳がどんどん大きくなっているので、酸素をたくさん吸い込まなくてはならない》からとかという話もなるほどな、と。しかし、サルから進化した人間だけど、役に立つことをしたいという気持から《人は日々、自分を越えようとする動物なのだ》(p.86)という話になるところは感動的。仙谷官房長官も話題になった年ですが、東大全共闘はまだまだやってるな、と。前に出した『安田講堂 1968‐1969』や『はだかの起原―不適者は生きのびる』も読んでしまいました。

『民主党代議士の作られ方』出井康博、新潮新書
 二世でもなく、高級官僚でもなく、宗教団体のバックもなく、テレビで名前を売ることもできないようなフツーの人間に「政治家になれ」というcallingが下ったとしたら、どうしたらいいのか。二人の民主党代議士の長い選挙運動を通して、唯物論的に描いていきます。《「一億円でも、使おうと思えば簡単です」》(p.54)というのは実感なんでしょう。そう、政治にカネは必要なんです。政治とカネの問題はダメだ、なんていう人間は、一度でも1000円でもいいから、政治家に献金したことあるんでしょうかね。そんなことを思いながら読みました。

『アホの壁』筒井康隆
 今年は三島由紀夫の没後40年。そんな三島に関しては、こんな風に書いています(p.95)。《グイド・レーニが描いた「聖セバスチャンの殉教」を愛し、自らダンヌンツィオ『聖セバスチャンの殉教』を翻訳し、最期は大勢の前で煽動的に自決し、同性愛の対象に介錯を委ねた。多数同性愛者、殉教志望者の夢の実現ではなかっただろうか》。

《日本の近現代史をどう見るか》岩波新書編集部
 〈シリーズ 日本近現代史 10〉に通底している問題意識は家族、軍隊、植民地だといいます。これに引き続き、岩波新書はさらに〈中国近現代史〉〈日本古代史〉という歴史のシリーズものを出し続けていて、非常に楽しみ。

『鳥羽伏見の戦い 幕府の命運を決した四日間』野口武彦
 大政復古から江戸城開城までは一気呵成に進んだというイメージですが、本来ならば鳥羽伏見の戦いで慶喜側はかなりの確率で勝っていたハズだというんですね。それを逸したのは先陣の兵士たちに弾を込めさせていなかったという弛緩しきった指揮や、圧倒的な兵力があるにもかかわらず迂回路から挟み撃ちにすることもせず、籠城戦にも持ち込まなかったという点をあげています。

『鳩山由紀夫の政治を科学する (帰ってきたバカヤロー経済学)』高橋洋一、竹内薫
 ここまで復活すると、サウナで腕時計とったというのは、ハメられたということで一般的な理解が進んだということでいいのかな?という元大蔵官僚といいますか高橋・霞ヶ関埋蔵金・洋一さんとサイエンスライター竹内薫の対談。鳩山内閣が擁護する省庁は財務省と経産省。叩くのは自民党族議員と癒着して天下りし放題だった国交省、農水省、厚労省と支持母体と対立する文科省だという図式はわかりやすい。中央政府の借金総額800兆円のうち天下り団体が埋蔵しているのが300兆円、道路に使ってB/S上は財産になっているのが200兆円あり、問題なのは300兆円だけというのも強調しています。

『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか』菅原琢
09年総選挙における民主党の圧勝の理由を《共産党候補不在を受けて、2大政党の候補からよりマシな民主党候補を選択した結果であると考えてよいだろう》(p.260)と分析。共産党候補が撤退したことにより、民主党候補の有力感が高まるというバンドワゴン効果(勝ち馬に乗る人間が多くなる)が生まれた、としています。現在の地方選挙の敗北の原因も、それなんですかねぇ。「はじめに」で《共産党のポスターが貼ってあるような田舎の飲食店の食事は必ず美味しい》という仮説をいつか検証したい、としています。自民党支持者が多い中で店を維持できるのは、ちゃんとしたものを出しているからだ、というのですが、これにはハッとしました。これは誰も書いてなかったことだけど、ぼくも実感してきました。

『歴代陸軍大将全覧 昭和篇/太平洋戦争期』半藤一利、秦郁彦、原剛、横山恵一
 最初に取り上げられている岡村寧次大将なんか実に深い愛嬌を感じさせるいい顔してます。バーデン・バーデンの密約にも参加したほどの人物であり、武漢攻略戦の指揮もとるなど、軍司令官としても活躍。戦後、台湾に移った蒋介石から協力を求められ、元参謀を主体とした「白団」(パイダン)を送ります。なんとも魅力的な人物だったと思いますね。後半に出てくる方では敗戦後に最後の陸軍大臣として帝国議会で国民に謝罪した下村定大将なんかも実にいい顔といいますか、静かな清潔そうな顔をしています。戦後は自らつくった三畳の謹慎小屋で過ごした今村均大将が、陸大教育の欠点として1)25、6歳の青年が将師の態度をとって隊付き将校を見下した2)補給を考慮しなかった3)教官に他では使いにくい豪傑肌の者を持ってきていた、というのをあげているのは傾聴に値する意見だな、と思います。

『立ちそば大全』今柊二
『定食学入門』や『かながわ定食紀行』などこの方の本を読んで役立つのはB級グルメの歴史というか、ブックガイド的な側面。『蕎麦屋の系図』岩崎信也、光文社新書は読んだことないのですが、そこで紹介されている巴町砂場のご主人の話から、なんで高級蕎麦屋の盛りは少ないのか、なぜ夜になると飲み屋になるのか、という疑問が溶けました(p.129)。蕎麦というのは間食というか「お三時」みたいな存在で、昼飯がわりに腹いっぱい食べたりしたら笑われていた、というんですね。

『人物で語る化学入門』竹内敬人、岩波新書
 化学の三つの仕事は1)構造の研究2)反応の研究3)合成の研究(p.218)。電気はそのどれとも深くかかわり、物質の中の電子の性質、振舞いを理解することが化学とすらいえる、と(p.54)。さらに《ものの目に見える(巨視的な)性質は、ものを構成する分子の「原子レベルの(微視的な)構造」によって決まる》とのこと(まえがき)。1800年はドルトンによって近代原子論が誕生し、ヴォルタが電池の原型をつくった画期的な年(p.3)。しかしドルトンは錬金術師が用いた記号からは完全に離れられなかったというのは、素晴らしい話だな、と思いました(p.63)。また、同じ金属では電池はできないそうです。なぜなら、金属電極の差が起電力だから(p.58)。また、電気の化学作用は分解能力として当初はとらえられていた、というのも目ウロコでした(p.65)。電気分解のエンジンとして電池は大切だったんですね。また、1828年はウェーラーが尿素をフラスコの中でつくり、無機物を有機物に変換できるのは生物だけだ、という常識を打ち破った年で画期的だったそうです(p.87)。1モルはNa個の原子・分子粒子からなる物質について6*10の23乗の粒子を持つ物質の量で、137億年前に起こったビッグバンから現在までは4.3*10の17乗秒しか経っていないことを考えれば、途方もない数字です(p.30)。人類が利用できた金属は、金属原子が鉱石の中で、他の原子とどのぐらい強く結合しているかで決まってきたそうで、銅は鉱石中で金属原子が酸素、硫黄と結合しているが、結びつきは弱い、と。鉄は銅より強い。アルミは酸素と極めて強く結びついているから、近世まで利用できなかった、と(p.66)。さらに、大きな分子の原子は全て共有結合で結ばれているという「高分子説」が正しいことが証明され、人類はプラスチックの時代に入ったわけです (p.150)。

『新・現代歴史学の名著 普遍から多様へ』樺山紘一、中公新書
 1989年という決定的な年に出た『現代歴史学の名著』の続編。新旧で取り上げられている本を比較すると感慨深いものがあります。旧版では、やはりどこかで冷戦を引きずっているというか、ヨーロッパ中心のイデオロギッシュな雰囲気を漂わせる本が多いのに対し、『新・現代歴史学の名著』は対象がグローバルになると同時に、見る目がフラットになっている感じがします。それは「はじめに」で書いているように《人類社会の到達目標は、もはや近代化ではなくなり、そのほかの形象に代置されつつある》ということを表しているのかもしれません。いまから20年後には、もっと、中国やインド、アラブ、アフリカの歴史なども整理されるでしょうし、そうなった場合、もっと人類社会を透徹した目で見ることができるような気がして、楽しみで仕方ありません。 

『統合失調症 I』中井久夫、みすず書房
 復刊だけど、著者自身の解説も大幅に加えられているので、こちらで紹介します。日本のように「近代」に強制加入させられつつある社会では、焦慮を病的とみるどころか、いかに巧みに「あせり」あるいは他を「あせらせるか」を重視する傾向があることが治療者の盲点になっていると書かれていますが、これは、お医者さんだけにあてはまる問題ではないな、と感じます(p.93)。《徹夜したあと、意識水準を保つための身体の自然のたくらみとして起こる子多弁性》(p.116)なんて言い方も素晴らしいな、と。《危機に際しては集団はその前よりも散るか固まる》(p.123)というのも納得的。「狭義のいつわりの静穏期」の例としてあげているヴィトゲンシュタインのラッセルへの手紙にみられる「亡霊のざわめき」(Gerausch der Gerspenster)にはハッとさせられました。沈黙の饒舌さよ。

『失踪入門 人生はやりなおせる!』吾妻ひでお、中塚圭骸、徳間書店
 香山リカさんの実弟である中塚圭骸さんを相手に、ワーキングプア世代に伝える人生の処方箋。中塚圭骸さんはハルシオンを日常的に服用するぐらいの方なんですが、人前ではメシを喰えないのに、不安が高まると対談中にも飲んでしまうという12回目の対談あたりから、少し乗ってきたかなぁ、という感じも。ちなみにハルシオンは冬至の頃の荒れた海を穏やかにするというギリシア伝説の鳥。なかなかのネーミングですよね。

『ライブ・合理的選択論 投票行動のパラドクスから考える』小田中直樹、勁草書房
 二大政党がほぼ確立されつつあり、本格的な政権交代も行われた日本の中で、「大体なんでぼくらは選挙に行かなきゃならないのか」という問題意識を改めて設定し、それを合理的選択理論でどれだけ説得的に説明できるか、というのを学術書の体裁よりも、ライブ感を大切にして書いた、という感じでしょうか。小田中先生は03年にも『ライブ・経済学の歴史 “経済学の見取り図”をつくろう』を上梓なさっていますが、なんと、今回は、各章の露払いに「ラノベ」を配するという画期的といいますか実験的な体裁をとっています。

『日本の聖域(サンクチュアリ)』「選択」編集部、新潮社
 * 警察や検察が逮捕権を行使するときに裁判所の令状が必要なのに、入管は地方入管局長と次長が収容令書を発付できる * 生保会社がお手盛りの関係者だけの総代会を最高意志決定機関としていけるのは、相互会社という形式をとっているからだが、それは公職追放となった旧日本生命の社長が弟を世襲の社長に据えたかったから * 人工透析は国が膨大な医療費を負担しているために、病院経営にとっては生命線になっており、透析液メーカーとつるんだ医師たちは腎臓病患者を治そうとしない *東京・青山の国連大学に学生はおらず、外務省が国連への送金によって為替差益を得る道具と化している。また、銀行に手数料として30倍も払っている *刑事裁判の有罪率は99.9%だが、残り0.1%の無罪判決も検察側に配慮した東京高裁が逆転有罪としてしまうケースが多い。公判請求率が4%から7%に上がっている現在、裁判所の検察チェック機能は摩滅しているーなど、知らない話が一杯。このほかにも、法務省というのは特殊な官庁で、事務次官は検事総長、最高検次長、東京高検検事長に次ぐ第四の男でしかないうのも知りませんでした。

『「事業仕分け」の力』枝野幸男、集英社新書
 事業仕分けに関して「茶番」みたいな批判もありますが、小泉政権時代から何回も廃止宣告されながらも、どこかと合併して生き残るゾンビ集団的な独法がある限り、こうした試みは続けていくべきだと思います。「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」と「産業技術総合研究所」はどちらも経産省所管の独法ですが、天下りに加えて、研究費も横流しするという「縦割り重複」があったというのも深刻な話だな、と(p.107-)。特に新しい情報はないのですが《予算は「付ける」ものではなく、「組む」ものなのです。歳入との関係でできることとできないことの、文字通り「仕分け」が必要です》(p.28)というあたりはなるほどな、と。蓮舫さんが寄せているコラムに書いていた《ハコモノを維持するより、ハコモノを管理するという名目での人件費を維持することが目的となっていないか》(p.39)という問題意識も、言われてみれば、そうなんだよな、と納得的。

『縄文聖地巡礼』坂本龍一、中沢新一、木楽舎
《いまの芸能界を見ると、日韓がひとつの世界になりつつありますが、芸能界で起こることは、経済や政治の世界で起こることの先鞭をつけていますから、おそらくこれからの未来的な経済圏として、朝鮮半島の南部と日本は一体となっていくのではないでしょうか》(p.56)という大胆な見通しにもハッとさせられた「第二章 敦賀・若狭」は一番印象に残りました。 日本海側は南朝鮮と同じ文化圏を形成していて、逆に朝鮮半島が北方の方から変わっていった、という流れを感じさせてくれます(p.62)。日本列島は四つのプレートがぶつかって持ち上げられて出来たのだから、《そのエネルギーの見えるものとしての山があるから、山岳信仰は当然出てくるだろうっていうのは感じる》(p.52)という指摘にもうなりました。

『坂東玉三郎―歌舞伎座立女形への道』中川右介、幻冬舎新書
 まだ生きて活躍している人に関する評論なのに、その本人へのアプローチがないまま上梓されるというような本が多くなってきているように思います。最終的にはボツにするにせよ接触を持つことは重要だと思うのですよね。まあ、正直に言えば、読んでいる間は楽しかったですよ。同じ幻冬舎新書の『十一代目團十郎と六代目歌右衛門 悲劇の「神」と孤高の「女帝」』の続編みたいな感じで、歌右衛門さんと玉三郎さんを軸とした近現代の歌舞伎史が見えてきます。そういえば、義理の父である守田勘弥も歌右衛門さんとはただならぬ関係があったようで、勘弥が水谷八重子と結婚したことに絶望して、歌右衛門さんは使用人と駆け落ちしたりしたんですよね(p.107-)。その後、玉三郎さんは新派にも積極的に客演し、一時は花柳章太郎を襲名するんじゃないかともいわれていたそうですが、結局、歌舞伎に還ってきて、杉村春子さんの当たり役だった『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を歌舞伎座で歌舞伎として上演することなるというのは、なんか、すごい話だな、と感じました。

『シリーズ 中国近現代史 1 清朝と近代世界 19世紀』吉澤誠一郎、岩波新書
 清朝というと、あとがきでも書かれているように《外国の侵略に対して何らなすすべもなかった腐敗堕落した王朝》という印象でしたが、一読、18世紀に起こった人口の急激な増加に起因した数々の内乱に対処しつつ、近代化をめざしたものの、力及ばずして倒れた悲運の王朝というイメージに変わりました。乾隆帝と嘉慶帝の時代には「乾嘉の学」と呼ばれる考証学も盛んで、嘉慶帝はあまり良く知りませんでしたが、『己を罪する詔』や詩集からも、生真面目に政務に取り組んでいる姿がうかがえて、好感を持ちました。しかし、17世紀末に1億人台だった人口は19世紀には4億人を超えます。こうした人口増に耕作地拡大が追いつかず、民衆の生活が苦しくなってきたところで道光帝(在位:1820年-1850年)は制度疲労を起こした統治機構を引き継がなければならなくなり、さらには欧米の資本主義発達という波が押し寄せます。太平天国の乱も、ある程度は知っていましたが、洪秀全が天王府に側室と引きこもったのに対し、楊秀清というシャーマンのような青年が神がかりになって指導するようになったというのは知りませんでした。さらに清朝には中央アジアでの回漢対立の波が押し寄せてくるあたりは、現代のイスラムとの問題にも関係してきます。

『若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱) 』内田樹、石川康宏、かもがわ出版
 冷戦が終了して20年。ようやく、ある種の恐怖なしにマルクスを読めることになったということなんでしょうか。その嚆矢となったのは、Kommunismusを「コミューン主義」と訳したマルクスコレクションでしょうか。共産党宣言の最後の「万国のプロレタリア団結せよ」という結びに関して、世界を獲得するというほとんど幻想的な目標のために、選んだ言葉が「決起せよ」でも「打倒せよ」」でも「奪還せよ」でもなく友愛の言葉であることに偉大さを感じるというあたりはハッとしましたかね(p.49)。マルクスが南北戦争終結後、リンカーンに祝電を打ったことに、互いをリスペクトしあっていた可能性について書いているところにも、なるほどねぇ、と。マルクスといいますか共産主義者同盟は、時短の法律などが成立すると、その政府に祝電を打ったりもしていたことは知っていたんですが、同時代史としては感じてなかったかな。

『私の日本語雑記』中井久夫、岩波書店
 いつも中井久夫先生には教わることが多いのですが、この本も最初の方に書きましたが、いろいろ教えていただきました。さらに「したたるほどのイメージ」が喚起されると紹介されていた『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之 (訳) も読んで感激しました。

『絵で見る十字軍物語』塩野七生、新潮社
 塩野さんの『ローマ』後は、ちょっと言い方悪いけど『地中海』の焼き直しとしか思えなかった『ローマ亡き後の地中海世界』でしたが、次に取りかかってくれたのが十字軍。十字軍と言われても、ぼくなんかには「世紀の愚挙」「壮大なゼロ」ぐらいの感想しかないのですが、西欧の旧家では十字軍に参加したことのない先祖をもたない家はないほどの規模だったそうです。3年かけて十字軍を描く前に、馴染みの薄い極東の人びと向けに、『十字軍の歴史』というミショーの本に添えられたギュスターヴ・ドレの挿絵を中心に、退屈しないように、見開きでその歴史をサクッと解説してくれたのがこの『絵で見る十字軍物語』。獅子心王リチャード1世はまるでダース・ベイダーのような鉄仮面を被ったままの姿しか描いていませんし、逆にサラディンは本当に美しく、気高く描かれていたのが印象的。

『小沢一郎 50の謎を解く』後藤謙治、文春新書
 竹下元首相の遺産は2億1000万円しかなく、カネ配りに徹していたことがわかる、というあたりは知りませんでした(p.31)。何回か書きましたが、竹下さんの母親は学生時代に福本イズムの福本和夫に教わっており、本人も左翼的といいますか草の根大衆主義的な心情の持ち主だったと思うので「政治献金は汗水たらして得た金じゃないから、蓄財に回したらいかんわなぁ」という言葉はなかなか含蓄があります。自由党が民主党に合流する際、羽田孜が鳩山側近の樽床現国対委員長にアドバイスしたというのは知りませんでした(p.42)。また、09年の総選挙で当選した143人の小沢チルドレンの数は、自民党の当選者よりも多く、田中派が最大派閥だった頃よりも多いというのは凄いな、と。元連合会長の山岸との蜜月は、細川連立政権発足後3日目に終わったというのも知らなかったな(p.88)。

『人生の色気』古井由吉、新潮社
 手取りの月給が10万円に届いていない時代の大学教師を辞めて書いた第一作は240枚の『杳子』ですが、当時の文芸雑誌の原稿料は600円から1000円なので、当分の計算は立った、なんていうあたりから第一章「作家生活四十年」を語り始めます。当時、「自己解体」をスローガンに学園紛争に熱中している学生たちを、古井さんは《目に見えない何かに対するツケのようなものを支払っている風に見えました》(p.23)と書いていますが、それが可能だったのは経済成長を当たり前だと考えていたからだ、ということに、いま気づかされます。そして《経済は人の社会を外部から根本的に変えてしまい、どう変わったのかも気づきにくい》とも。日本の《一般大衆は、大空襲によって、初めてアメリカの物量を肌身で感じました。力づくで近代の洗礼を浴びたんですよ》というのも印象的。ヨーロッパの階級もムスリムと似たようなもので、男女の性も社会的な制度に拘束されており、そこからフリーになるというのは、追放され、保護の外に置かれるという意味を持つ、みたいなあたりの話で(p.93)思い出したのが"Me And Bobby McGee" 。子どもの頃から"Freedom's just another word for nothing left to loose" という詩は何回も口ずさんできましたが、新たな意味というか、社会の枠から出る、という意志も込められているのかな、と感じました。

『官邸敗北』長谷川幸洋、講談社
 民主党政権と財務・国税、法務・検察という2大官僚組織との戦いを描き、財務・国税は早くから民主党政権にスリよって予選編成権を国家戦略局に奪われぬよう周到に準備し、財政規律を重視する方向へ誘導していったのに対し、法務・検察は民主党ツートップとの対決に走ります。年末、たち日との連携を目指すというニュースには民主党は財務省を使ってまず他の官庁の権益を叩きつぶし、その後で財務省を問題にする、という二段階革命論がにわかに現実味を持って感じられますが…。

『「普天間」交渉秘録』守屋武昌、講談社
 辺野古移転がモメるのは、沖縄の人たちのマッチポンプが原因と書いています。「浅瀬案のように海に作るのは、環境派が反対し実現不可能というのが沖縄では常識。沖縄の一部の人びとは代替飛行場を作るのが難しい所に案を誘い込んで時間を稼ぎ、振興策を引っ張り出したい。作るにしても反対運動が起きて時間を稼げるようにしたい」「地元は疲れ果てて、どちらでもいいと思っている」と説明する地元の建設会社の社長の話は納得的(p.104)。名護市の末松文信助役の前日言ったことをひっくり返す見事なまでの背信行為には、著者も最後には「あなたは昨夜私と打ち合わせたものと、まった違う主張を言っている。誠実さがない」と握手を拒否するほどで、ぼくにはなんか神話的な人物にさえ感じました(p.259)。石破元防衛相などは「自民党が橋本政権から何十回も積み上げてきたものを民主党が潰した」と主張していましたが、そのウソというか、唯一実現可能なV字案を本当にまとめようとしていたのは小泉首相ぐらいだというのがよくわかりました。他の自民党議員は官房長官なども含めて引っかき回していただけ。

『日本経済のウソ』高橋洋一、ちくま新書
 「日本経済の問題点はデフレ。解決法は実質金利を下げることで、対処方法は日銀法を改正して、日銀の過度な独立性を廃して、インフレターゲットに沿った金融政策をとらせること」ということをクリアカットに力説する本。筆者が大蔵出身で、だから日銀を攻撃するんだということを差し引いても、今の日銀幹部の無策ぶりにはガックリします。20年間、ロクな政策も打ってこずに、守りに徹して失敗したのですから、インフレ目標は国が設定し、中央銀行は手段だけの独立性を持つべきという筆者の主張は納得できます。

『隣の病』中井久夫、ちくま学芸文庫
 これは文庫ですが、長いあとがきがあるのと、今まで読めなかったものが読めたということで、こちらで紹介させてください。「時間精神医学の試み」では恐怖発作などが40分で終わることから、これには生理的背景がありそうだとか、客を12分待たせるのはいいが15分待たせると良くないとか、午前八時の副腎皮質ホルモンの分泌時間には生活に重要な意義があるいうのは初めて知りました。「統合失調症の病院研究に関する私見」での、治療の困難さを説き始める際に触れる《感染症でも一発必中というのは狂犬病かラッサ熱ぐらいしか思い当たらない》というなかばヤケ気味の書き方も味わい深い。

『権力の館を歩く』御厨貴、毎日新聞社
 御厨オーラルヒストリー貴教授が戦後の歴代総理大臣の私邸などを歩く連載が単行本化。今は鎌倉文学館となっている佐藤栄作の鎌倉別邸はすぐに行ってみました。元は加賀・前田の殿様の別荘。二階のテラス、三階のバルコニーからみはらす由比ヶ浜のパノラマは最高でした。個人的に住みたいと思ったのは宮澤喜一さんの軽井沢別邸ですかね。お気に入りの読書ポイントはふたつあったそうですが、そんなところで、ぼくも本を読みたいかな、と。

『歴史の中の『新約聖書』』加藤隆、ちくま新書
 マルコでは聖霊を与えられていない者は否定され、マタイのイエスは単なる新しい掟の伝達者であり、ヨハネはあまりにもイエス中心主義で書かれている、ということを分かりやすく解説した後、いっぱい文書が混在していて、互いに矛盾したことが書かれているという「いい加減さ」というか緩さが、キリスト教を生き延びさせてきたし、戒律といいましょうか律法でガチガチに縛るのでなく人治主義を認めていたことが、国教としても「使える」と判断されたのでないか、というのが著者の言いたいことではないかと思います。

『十字軍物語Ⅰ』塩野七生、新潮社
 詳しく知りたければ洋モノの十字軍に関する本を読んだらいいじゃない、と言われる方も多いかもしれません。でも、そうした本には、ぼくたち極東に住む人間が欠落している西欧の常識みたいなものに気をかけてくれません。その点、塩野さんの本には、そうした情報を補ってくれる丁寧さと心配りがあります。この本だったら、例えば、第一次十字軍で手勢の小兵を率いて大活躍したタンクレディ(Tancred)。《歴史上のタンクレディは、若さの象徴と見なされてきた》《二十世紀。ヴィスコンティが監督した映画『山猫』である。あの映画でアラン・ドロンが扮した若さあふれる老公爵の甥を、この映画の原作を書いたシチリアの作家ランペドゥーザは、タンクレディと名づけたのであった。今なおヨーロッパ人は、それもとくに南欧の人々は、タンクレディという名を耳にするだけで、ほとんど自動的に、信義に厚くそれでいて若々しい、永遠の青年を想い起こすのである》(p.278)。第一次十字軍というのは、こ日本で言えば、部屋住みの次男三男たちが、領主たちの代理のような形で遠路はるばるドイツやフランスあたりからやってきて、イスラム側の油断とマインドコントロールされた虚仮の一念のようなパワーでエルサレムを墜としてしまったという、ちょっとした奇跡のような企てだったんだな、ということがわかります。

『明治維新 1858-1881』坂野潤治、大野健一、講談社現代新書
 歴史的に見て、明治維新を目指した指導者は政治的には「公議興論」と経済軍事的には「富国強兵」を掲げていましたが、新政権が成立すると、さらにそれは議会派と憲法派、富国派と強兵派に分かれ、政府は3/4を占めた多数派が安定的に運営していったのですが、こうした入れ替え可能な柔軟構造を持っていたところが明治政府の強みにつながっていた、というのがお二人の主張。産業革命を成功させたのはかつて封建制を経験した西欧と日本だけであり、割拠する地方の政治力と経済力を涵養したというのも、そこまでクリアカットにいわれるとハッとします(p.176)。

『インフレーション宇宙論』佐藤勝彦、ブルーバックス
 初期のビッグバン理論では解明できなかった星や銀河が形成される「密度のゆらぎ」が小さすぎるとか、宇宙の果てと果ての領域が同じような構造を持っている「一様性問題」があるのはなぜか、というのがアンフレーション理論で説明がつく、というあたりはさすがに本家だけあって本当に分かりやすい (p47)。さらに真空というのは粒子と反粒子がペアで、または合体して消滅する対生成・対消滅を繰り返しているとか、南部先生が着目した水が氷に変化するような相転移で対称性の乱れとともに潜熱が発生して、宇宙のエネルギーが急激に上昇した、なんていう感じで説明されると、まったくの門外漢にも「なんとなくわかるかも」と思わせてくれます。さらに、その過程で発生するはずのモノポール(磁気単極子)が、インフレーション理論によって1000億光年のかなたに押しやられてしまったと考えれば(宇宙の年齢137億光年よりもはるかに遠くに)、われわれの周りにモノポールがないのも説明がつく、というあたりも、ただただすごいな、と (p.65)。今の宇宙がつくられる確率は10の10の123乗分の1という話から、マルチバースっていうのは、最初は冗談かと思ったんですが、違うんだな、と…。

『最後の授業 心をみる人たちへ』北山修、みすず書房
 北山修さんも九州大学大学院教授として2010年に退官してしまったというんですから、時間だけはキッチリ流れていくな、ということも感じさせてくれました。「セルフモニタリングの時代」という考え方は面白かった。現代人はデジカメ、ビデオその他で「離見の見」でなくても自分を第三者的に見ることが簡単にできるようになりましたが、こうしたセルフモニタリングで最初に感じることは、自分自身の醜さではないでしょうか。ぼくも最初にテープで自分の声を聞いた時の狼狽は忘れられません。「こんなに甲高い声で、軽薄にしゃべってんのか、オレは」みたいな。でも、最近は北山さんも書いているように、例えば写真映りが悪いなんてことは考えずに、映りの悪いデジカメのイメージはどんどん消すようになっていきます。これを北山さんは《セルフモニタリングの時代といっても、結局いいところばかりとっている》《セルフモニタリングの時代になって、今、日本人の自己イメージが結構よくなっているのではないか》(p.63-)と指摘します。ニッポン大好きの"自慰史観"なんかも、こんなあたりから出ているんじゃないかな。

『思想家の自伝を読む』上野俊也、平凡社新書
 テリー・イーグルトンがカトリック修道院の門前の小僧(ゲートキーパー)だったのですが、カトリック信徒は「リベラリズムに対する本能的な反感」ゆえに左翼的傾向を持つ、なんていうのも、頷けます。まさに《罵倒と捨て台詞の巧みでない者は批評家の名にあたいしない》(p.47)というイーグルトンは大好き。ルイ・アルチュセールの『未来は長く続く』の冒頭、妻エレーヌを絞め殺してしまったあたりの描写には震えました。

『農耕社会の成立』石川日出志、岩波新書
 岩波はシリーズの歴史物で勝負するつもりなんでしょうか。最高だった日本近現代史に続き、中国近現代史をスタートさせたと思ったら、こんどは日本古代史です。ありがたい。日本列島では夏場に台風が来襲すればコメの収穫が見込めなくなってしまうので、登呂遺跡ではモモ・ヒョウタン類・マクワウリといった夏の果実類と、ドングリ・クルミ、クリ・トチノキといった秋の堅果類、それにマメ類やムギ類といった畠作物と組み合わせて危険を回避していたというあたりも興味深かったです (p.71)。もう邪馬台国はほとんど奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)で確定っぽいらしいのですが、昔は「何に使ったのかよくわからない」とされてきた銅鐸ですが、《繰り返し舌が打ち付けられて内面突帯が磨り減っている例が認められ》るなど音響具であり (p.114)、銅鐸が打ち鳴らされる中で、物語が吟じられて、豊穣を祈る農耕儀礼のパフォーマンスが繰り広げられていたのであろうというところまで、今では確信に満ちて書かれるんだな、と思いました(p.116)。

『ポールソン回顧録』ヘンリー・ポールソン、有賀裕子 (訳) 、日本経済新聞出版社
 中国の影響力の大きさを改めて実感したのが、ポールソンの最も信用している外国人が中国要人であること。ファニーメイとフレディマック救済でも、発表後すぐに周小川人民銀行総裁、王岐山金融・経済担当副首相に会い米国証券のポジションを継続することを要請していのには驚きました(p.35)。これにはゴールドマンのアジア担当だったということも影響しているようで、 92年江沢民と会いアメリカ経済を勉強しているという江沢民が「資産イコール負債プラス資本ですよね」と語ったことをあげ、アメリカのリーダーたちが、これほど完璧にB/Sの要点を語れるだろうか、と賞賛しているのには驚きました(p.54)。さらに彼は財務長官就任を一度、断ったんですが、その後、周人民銀行総裁からサシで話しがしたいと言われ「財務長官のポストをお受けになるべきです」と言われ、情報網に舌を巻いた、と書いています(p.61)。さらに財務長官の就任を内諾した時、中国との経済関係を維持・発展させたいとまずブッシュに伝え、米中戦略経済対話を開始したことを大きな業績としてあげ (p.77-)、対中制裁法案の成立を阻止する、と(p.81)。まあ、当時の日本の財務大臣は酔っ払い会見をやらかすようなアルコール依存症だったことは、自民党の時代が終わったということなんでしょう。

『日本の大問題が面白いほど解ける本』高橋洋一、光文社新書
 高橋"霞ヶ関埋蔵金"洋一さんは多作。これはイタンーネットで発表していテキストを、ちょっと修正して、本にしてしまうという手法だからでしょう。でも、大したもんだと思うのは、アウトプットの量が多いにもかかわらずダブリが少ないこと。今回の本も政策評価はB/C分析で、マクロ経済は金融政策によるリフレで、制度は道州制でやればたいていの問題は解ける、というまさにサブタイトルの「シンプル・ロジカルに考える」やり方でバッサバッサ切っていきます。大蔵臭さはあるし、ちょっと自分を大きく見せている感じもするのですが、最後のあたりに書いてある「お金の使い道は、行政サービスを受ける側が決めるべき」というのは素晴らしいクリアカットさだと思いました。

『シリーズ中国近現代史3 革命とナショナリズム』石川禎浩、岩波新書
 西安事件はあまりにも有名ですが、これで国共合作が一気に実現されたかというと、全く違う。蒋介石が西安入りしたのは1936年12月4日。挙国抗日体制の確立に前向きの宋子文(宋美齢らの兄弟)も西安~南京を往復しながら、説得を続け23~25日にかけて、周恩来が中共の紅軍が蒋の指揮下に入ることなどを認めるとともに、蒋介石も容共抗日を約束する、ということになります。かくして25日、蒋介石、宋美齢、宋子文、張学良らは飛行機に乗り、26日には南京に戻りますが、中共側が一致抗日など蒋介石との合意事項を発表したため、蒋介石は張学良を逮捕。張学良はこの後、半世紀の間、幽閉生活を送ります。そして、本来は抗日戦争のために養っていた張学良の東北軍は37年 2月には解体。中共も甘粛省に遠征していた2万人の軍を失うなど、合意内容はうやむやになってしまいます。そして《蒋介石の約束が明確な形をとってあらわれるのは、抗日戦争開始》を待たなければならないんですねぇ。著者の結論は明確です。《現在の中国では、一九三七年から四五年の八年にわたる戦争で、中国軍民の死傷者は三五〇〇万人以上、財産の損失は六〇〇億ドル以上と推計されている。他方で、日本軍の死者は約四七万人と見積もられている。中国人を屈服させる、簡単に言えばただそれだけのために行われた戦争と無数の蛮行・殺戮によって、日本はそれまでの日中関係史を根本からぶち壊すような巨大な不幸をつくりにつくったといわざるを得まい》(p.228)。もちろん日本の侵略は中国のナショナリズムの覚醒をうながし、やがては革命へとつながるのですが、《奪ったものの大きさや戦争自体の惨禍の甚大さには及ぶべくもない》のです。

『ゴールドマン・サックス研究』神谷秀樹、文春新書
『強欲資本主義 ウォール街の自爆』に続く懺悔本ですが、デトロイトの荒廃とか、それを批判する神父とかはマイケル・ムーアの映画『キャピタリズム』のパクリかと思いました。

『日本の医者』中井久夫、日本評論社
 『日本の医者』は中井久夫さんが若かりし時に楡林達夫のペンネームで三一書房から上梓して、日本の医学界の問題点は医局支配にある、とほぼ初めて言及した本だと言われています。それがほぼ50年ぶりに、新しく日本評論社の「こころの科学叢書」に治められたテキストなので、これもここで紹介させてください。中井さんが描きたかったのは医局という独特の制度。現在、どうなっているかは知りませんが、『日本の医者』の書かれた1963年当時、勤務医の八割から九割の人事は医局の教授が握り(p.6)、完全に独立を保っているのは《旧七帝大、慶応大医学部と二、三の医科大学》で、他の大学の教授陣の供給源は主に旧七帝大だったそうです(p.9)。、京大が旧満州に築きあげたものが有名らしいのですが、その副産物として石井軍医中将の指揮する細菌戦部隊なども生んだという話は初めて聞きましたかね(p.56)。《日本人は憑き物が落ちたように変わる》という言葉と、制度としての医局は批判してきたけれども情報交換などの「医師の溜り場」としては外国の医師がうらやむような機能もあるという言葉が印象的でした。大学医学部の教授は政治的ボス支配に時間をとられる上に研究・教育・実践もこなさなければならず、研究業績も集団で得るという性格が強いため、職業的研究者が生まれにくいという弊害もあるそうです(p.30)。俗な感想になりますが、これなんかは日本人のノーベル医学賞受賞者がいないという原因なのかもしれません。医師の最も大きな役割として「予後」を判定することをあげているあたりも、なるほどな、と…。

『ヤマト王権 シリーズ日本古代史2』吉村武彦、岩波新書
 《本書では、倭国としての政治的統合の最終段階として前方後円墳の成立を考え、その結果、次の新しい段階にヤマト王権が成立したという論を展開した。この見解は、前方後円墳の成立をもってヤマト王権の形成を考える、従来の見解の再検討を迫るものである。前方後円墳の形成から終末までの歴史が、ヤマト王権の成立から律令制国家成立までの課程とパラレルに合わないだけではない。どうしてもヤマト王権の諸画期と、関連づけることが原理的に難しいのである。したがって、国家形成に重要な役割を果たした、六世紀における伴造制(部民制)・国造制などの政治的システムを、前方後円墳論として取り込んでいくことは、学問の性格上、容易ではない》というのがサマリーでしょうか(p.102)。朝鮮半島との関係では栄山江流域の前方後円墳の被葬者は、石室や貝釧(かいくしろ=貝製の腕輪)などから北部九州ないし佐賀平野出身の倭人とみられているほか、ここからもたらされた土器が福岡の番塚古墳や梅林古墳から出土しているというのには驚きました。

『和解する脳』池谷裕二、鈴木仁志、講談社
 人がサルと違うのは、人間には他者と和解する能力が備わっているんじゃないか、みたいな話を、池谷"海馬"裕二さんと弁護士・鈴木仁志が語りまくる、という本。再帰が出来るのは人だけという話に続いて、犬や猫は自分の命が有限だとは分かっていないので、無邪気であり、その健気さに人は癒されるということもわかるし(p.36)、資源が有限だということを認識したところから争いは始まる、とつながるあたりは目ウロコ。日本の裁判では、偽証が横行している、というあたりですかね(p.84)。これは実によくわかるし、納得もできます。OFC(眼窩前頭皮質)の機能が不全な患者は虚言癖を持つというあたりも面白かった(p.98)。

『戦後政治史 第三版』石川真澄、山口二郎、岩波新書
 無党派層というの、なんとなくしっくりこない言い方だと感じていましたが、この本のように「常時棄権層」という方がわかりやすいと思います。いつもは棄権するけど、時々、「黙ってられない」時には投票して、大きな流れを生み出す、というのが最近の動きだと思いますし。「民主党政権は新たな政権運営の手法を模索することになった」(p.234)というあたりをクリアしてほしい、と切に願います。

『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介、幻冬舎新書
 中川右介さんは個人的にはチョートクさんの個人雑誌「カメラ・ジャーナル」の発行人というイメージだったんですが、最近は歌舞伎クラシック音楽に関して、集めた情報を再構成する、という手法で、いろいろ本を出しています。これも、三島が「同性愛の対象に介錯を委ねた」(by筒井康隆)日のことを様々な記録から再構成しています。「一九七〇年=昭和四十五年は、昭和のオールスターが揃っていた年だ。 昭和天皇はまだまだ元気だったし、内閣総理大臣は最長在任記録を持つ佐藤栄作、自民党幹事長は田中角栄、防衛庁長官は中曽根康弘、警察庁長官は後藤田正晴だった。最強の布陣ではないか」というまえがきが印象的。オールスターだったけど、次の方向性は示せなかった、みたいなことも含めて。

『精神医学から臨床哲学へ』木村敏、ミネルヴァ書房
 臨床から精神病像を類型化するという長い動きにつながる文章の中で、フロイトの理論は向精神薬にしかず、とまで言い切る書き方には、ある種のショックを受けました。でも、医局の若い人たちと原典を読書会でかみ砕いて読んでいくハードな読書会にかける気力はすごいな、と思います。日経の「私履歴書」で木田元さんが、原語による読書会の重要性を書いていましたが、文系の学問はこうしたところから再生するしかないのかも。

『腐った翼 JAL消滅への60年』森功、幻冬舎
 今年はJALが倒産した年でもありました。昔なら、こんな本は出版することさえ不可能だったと思います。『沈まぬ太陽』がWOWOWでやっていたのがHDにあったのを見てから手に取りました。その時感じたのか「なんでJALには考古学的なのも含めてオールド左翼が多かったんだろう」という興味だったんですが、主人公のモデルとなった小倉寛太郎の講演とかいろいろネットで調べてみる。この人はスターリン主義バリバリの時代からの変わらぬ共産党員で、まあ、それ自体で自分自身を見つめる能力とかには疑問符はつくけど「日本航空は、各政治家、いろんな政治家の利権の巣であり、国会で日本航空のPTAができるというくらい、国会議員の子弟をとっているんですね」「政治献金のかわりにとるんですね」という自民党時代のひどさも改めて感じる。
 積ん読になっていた『作家の使命 私の戦後 山崎豊子自作を語る1』の『沈まぬ太陽』のところをフロ入りながら読んでから寝る。

.........................

〈そのほかの今年読んだ新刊〉

 楽しみの読書というのでは、『ハックルベリ・フィンの冒険』マーク・トウェイン、大久保博(訳)、角川文庫と『坂本龍馬伝 明治のベストセラー「汗血千里の駒」』坂崎紫瀾、東邦出版を楽しんで読みました。

 久しぶりに「ここに書きたい」と思える雑誌『酒とつまみ』にも出会えたのも嬉しかった。

『GXRワ-クショップ』田中長徳
 チョートクさんは、毎月のように本を出していて、まさに自転車操業というかサメの泳ぎのように頑張っています。もちろん内容は薄く、この本もGXRのムック本かと思いきや、半分はGR3の焼き直し。編集に人がいなくなっているんだな、と感じる。つか、いまの編集ってクォークとかイラレ使えるのが能力と勘違いしているんじゃないでしょうか。

『桃鉄ごはん』桃鉄グルメ研究会
いやー、これも編集という肩書きの人がクォークとイラレ使って簡単にレイアウトしてはい終了、という本でしたね。

『路上スナップのススメ』 森山大道、光文社新書
 「商店街を撮るときは必ず往復すること」「往きと帰りでは、だいたい光線が逆になるから」(p.20)「絵葉書の写真って、たいがい対象のちょっと上から撮ってる。あり撮り方に辿り着いた先人は、やっぱり凄いな」(p.104-)というあたりが印象的。

『土着品種で知るイタリアワイン』中川原まゆみ、産調出版
 フランスのワインが少ない品種をテロワール(土)の味の違いによって、差を生み出そうという作風ならば、イタリアワインは、その土地にあった土着品種をそのまま素直に使ってつくるもんだ、という考え方がよくわかります。

《ケンブリッジ・サーカス》柴田元幸、スイッチ・パブリッシング
 『シカゴ育ち』の作者、スチュアート・ダイベックに六郷を案内する「スチュアート・ダイベックと京浜工業地帯を歩く」が一番、印象的だったかな。《かつて育ったシカゴの街を歩くと、僕はいつも、現在だけでなく過去をあるいている》とダイベックは語ります。

《2010 南アフリカ ワールドカップ体感マガジン》安藤正純
  南アフリカワールドカップは日本のベスト16進出という望外な結果な結果に終わりましたが、これが望外な結果だったということをわざと忘れているような人たちは、もう一回、この本でも読んだ方がいいと思う。ぼくは3連敗の予想で、1引き分けでも御の字だと思っていました。

『池波正太郎が通った〔店〕』馬場啓一、いそっぷ社馬
横浜の隣花苑、奈良の江戸三とか、行ってみようと思うところがいくつか出てきました。

〈今年読んだ旧刊〉

『坂の上の雲』と『龍馬がゆく』のそれぞれ8巻=16冊
『鳩山一族 その金脈と血脈』
『民主主義が一度もなかった国・日本』宮台真司、宮台真司
『日本の難点』宮台真司
『かながわ定食紀行』今柊二
『成功の秘訣は 頭より心、ド根性だ!』丹羽宇一郎
『世界経済はこう変わる』神谷秀樹、小幡績
『日米同盟の正体 迷走する安全保障』孫崎亨
『安田講堂 1968‐1969』島泰三
『はだかの起原―不適者は生きのびる』島泰三
『バカヤロー経済学』竹内薫
『竹下派 死闘の七十日』田崎史郎
『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二、新曜社
『人間の建設』小林秀雄
『長州戦争 幕府瓦解への岐路』野口武彦
『もてなしの心 赤坂「津やま」東京の味と人情』野地秩嘉
『「無限」に魅入られた天才数学者たち』アミール・D. アクゼル
『社会学入門 人間と社会の未来』見田宗介
『長州戦争 幕府瓦解への岐路』野口武彦、中公新書
『ベネディクト・アンダーソン、グローバリゼーションを語る』梅森直之(編)、光文社新書
『蕎麦屋の系図』岩崎信也、光文社新書
『 ハイデッガー カッセル講演』後藤嘉也(訳)、平凡社ライブラリー
『フランスの内乱』マルクス・コレクション VI、筑摩書房
『DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』崎谷満、昭和堂
『ハックルベリ・フィンの冒険』マーク・トウェイン、大久保博(訳)、角川文庫
『坂本龍馬伝 明治のベストセラー「汗血千里の駒」』坂崎紫瀾、東邦出版
『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之(訳)、花神社
『ギタンジャリ』ラビンドラナート・タゴール、レグルス文庫
『二十年目のザンボット3』氷川竜介、太田出版
『 酔客万来 集団的押し掛けインタビュー』酒とつまみ編集部
『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』大竹聡、酒とつまみ社
『もう一杯!! 『酒つま』編集長大竹聡のチャランポラン酒場歩き』大竹聡、産業編集センター
『今夜もイエーイ』大竹聡、本の雑誌社
『革命のライオン 小説フランス革命1』佐藤賢一、集英社
『バスティーユの陥落 小説フランス革命2』佐藤賢一、集英社
『聖者の戦い 小説フランス革命3』佐藤賢一、集英社
『熱学思想の史的展開 熱とエントロピー1』山本義隆、ちくま学芸文庫
『泣き言はいわない』山本周五郎、新潮文庫
『作家の使命 私の戦後 山崎豊子自作を語る1』山崎豊子、新潮社

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