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November 21, 2010

『シリーズ中国近現代史3 革命とナショナリズム』#3

『シリーズ中国近現代史3 革命とナショナリズム』石川禎浩、岩波新書

 中共に関して、段祺瑞政権の閣僚を務めたこともある章士ショウは「共産党が新型の宗門」である、と書いているとのこと(p.101)。中国語では信念を信仰というとのこと。

 また、中共がコミンテルンに組織・理論面でも追従しなくてはならなかったのは、中国語の資本論の刊行が1938年まで遅れたと著者は書いていますが、高畠素之らによる日本語訳は1919年から刊行されており、中国の留学生が持ち帰ったものの影響はないと考えているんでしょうか。そこはちょっと個人的に疑問ですが、大勢に影響はなかった、ということなんでしょうかね。

 また、スターリンとトロツキーの権力闘争にも中国革命の帰趨は大きく関係していて、トロツキーは蒋介石のクーデーターに警鐘を鳴らしたのに対し、スターリンはそれを黙殺したのですが、その後の中共の敗北の責任はキッチリと初代総書記である陳独秀にとらせます。さらに、1927年8月1日の南昌蜂起を試みるも惨めな失敗に終わって、党員が激減するあたりは貧すれば鈍すという感じでしょうか。しかし、朱徳らの部隊も蜂起に参加しこたとにより、人民解放軍の創立記念日は8月1日になっているそうです。

 こうした中、毛沢東は井崗山に入り、土匪や会党といった農村のアウトローを取り込み始めます。そこに南昌蜂起の残兵を引き連れて朱徳が合流。その後の指導体制が形作られますが、まだ、この時点では確立されたものではありません。南昌蜂起に呼応する形で試みられた蜂起は全て失敗しますが、中には日本の任侠映画のような逸話も残っているとのこと(p.114)。

 その後、農民革命路線が模索されますが、当時の農村では漢字を200字知っているという比率は20%だったとあたりは、中共幹部たちのものすごい努力を感じさせられます(ちなみに現在の中国では1500字が識字の目安とされているそうです、p.117)。

 国民党政府は1930年から「囲そう」と名付けた討伐作戦を開始。1932-33にかけて行われた第四回「囲そう」によって瑞金を首都とした中華ソヴィエト共和国は崩壊寸前になりますが、日本軍の熱河侵攻(1933年2月)によって一時中断。その後、さらに行われた第五回「囲そう」によって、中共は長征に乗り出さざるを得なくなります。この課程で毛沢東は主導権を握ります。そして、この長征は《中国世界の辺境線をなぞるもの》(p.132)だったという指摘は新鮮でした。これによって現代中国の版図もほぼ決まったのかな、と。

 1935年公開の中国映画『風雲児女』の主題歌「義勇軍行進曲」は躍動的なメロディと救国を訴える歌詞で爆発的に流行し、後に、中国国歌となります。「起来! 不願做奴隷的人們!」というナショナリズムに訴える歌詞はまさに、国民の成立に流行歌というか歌謡が大きな役割を発揮しているということに改めて思いをいたします…。モノを知らない人が中国国歌は反日的だと皮相的にいうのは、元となった映画が中国の東北地方で抗日運動に立ち上がった人々を描いたノンフィクションだということを知らないんでしょうね(p.148)。

 以降は#1で書いたものに続き、最後は日本軍の敗北で終わります。そこらあたりは読んでくださいまし。

 新疆ウィグル地区って、戦前、ソ連の支援で軍閥が暫定政権作っていたことがあったんんですか。知らなかったですねぇ。いま複雑な地域は複雑な過去を持ってるんだなぁ、と(p.211-)。

 にしても晴天白日旗の前の五色旗って、漢満蒙回蔵の五族を表しているんだけど、これだけで中国というのは難治の大国だということが分かりますね。

 いやー、にしても、面白い。

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