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September 04, 2010

『隣の病』

Tonari_no_yamai

『隣の病』中井久夫、ちくま学芸文庫

 広英社という病弱な青年を抱きかかえるように女手ひとつでやっているような版元by筆者から出た『精神科医がものを書くとき1、2』の第2巻のうち、書評などを除いて文庫化したのが本書。

 精神分析に関する専門的な文章、さまざまなエッセイ、ギリシア詩にかんする文章という3部に大きく分かれています。

 以下、印象に残ったところをいつものように抜き書きしてみます。

 「時間精神医学の試み」では恐怖発作などが40分で終わることから、これには生理的背景がありそうだとか、客を12分待たせるのはいいが15分待たせると良くないとか、午前八時の副腎皮質ホルモンの分泌時間には生活に重要な意義があるいうのは初めて知りました。

 「ある臨床心理室の回顧から―故・細木照敏先生を偲びつつ」では、ウィーナーによる《一般に協力というものは、自分の領域について実体験とほぼ十分な知識とを持ち、相手の領域については討論できるだけの知識を持っていることが条件》という引用になるほどな、と。

 「難症論」の《薬は排泄されればおしまいである。精神療法のほうがはるかに永続的な影響を残す。失恋の痛手が生涯忘れられないのと似ている》《精神療法の有効性を物語るものは何よりもその失敗例の無残さである》という文章には痺れました。

 心理療法の「コラージュ私見」で書かれている夢とコラージュはちらばろうとする力とまとめようとする力の微妙なバランスが時間とともに変わってゆくが、夢には必ず唐突な場面転換がある、というのはクリストファー・ノーランの『インセプション』を観た直後なので響きました。

 箱庭療法について河合隼雄さんと語り合ったという「牛込・晴和病院にて」の、周囲に柵を囲うと患者さんたちは中にものを置き出すという話も印象的。

 「統合失調症の病院研究に関する私見」での、治療の困難さを説き始める際に触れる《感染症でも一発必中というのは狂犬病かラッサ熱ぐらいしか思い当たらない》というなかばヤケ気味の書き方も味わい深いし、ニューギアニにはなかったかもしれない、というのも示唆的。

 まだまだ書きたいたいのですが、今日はこれぐらいで…

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