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September 26, 2010

『明治維新 1858-1881』

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『明治維新 1858-1881』坂野潤治、大野健一、講談社現代新書

 途上国の開発政策の正否を分けた指導者やエリートの比較研究の呼びかけに応じ、それを開発経済学と歴史学の両面から探った共著。

 歴史的に見て、明治維新を目指した指導者は政治的には「公議興論」と経済軍事的には「富国強兵」を掲げていましたが、新政権が成立すると、さらにそれは議会派と憲法派、富国派と強兵派に分かれ、政府は3/4を占めた多数派が安定的に運営していったのですが、その要素は入れ替え可能な柔軟構造を持っていたところが明治政府の強みにつながっていた、というのがお二人の主張。

 薩摩と長州は多数派を組むための合従連衡に明治維新の経験からも長けていたけど、薩長土肥のうち肥前は自分の蕃だけで富国強兵に成功していたかめ、他蕃と連携する訓練を受けていなかったために江藤新平や大木喬任、副島種臣、大隈重信のよう単独プレーに走る人物が多かったというのは面白かったかな(p.30)。

 また、農村地主が参加する自由民権運動を支えたのは、西南戦争インフレによる農産物価格の上昇と、唯一の納税者であったことによる租税の使い道への感心というのもわかりやすかった(p.78)。1880年に米価が西南戦争前の2倍になった時でも租税額は前と同じだったために、農村地主は富裕化する一方、租税収入の半減と為替減価による輸入機械の高騰で、政府による殖産振興策は行き詰まった、という流れもわかりやすい(p.73)。

 また、これはぼくがこれまでボーッと明治維新に関する本を読んでいたので気づかなかったのかもしれませんが、将軍家茂の上洛に蒸気船を使う計画というのは相当、重要だったんだな、と。これは勝海舟や薩摩蕃の吉井友実との間で計画されたんですけど、1963-64の時期というのは薩摩、越前、土佐藩などが攘夷ににこだわる朝廷や長州を押さえ込み、幕府と朝廷、有力大名なども入った合議制にもとづく「開国進取」を新たな国是として打ち立てようとした時期であり、そのためには家茂が開国進取のシンボルともいうべき蒸気船で上洛することが必要だった、というんです(p.132-)。

 吉井友実って人は吉井勇のお祖父さんですが、本人はあまり歌に興味なかったという記述をどっかで読んだような記憶があるんですけど、大久保利通に宛てた書に京都の十五夜について「歌は追々さかんに御座候。毎々程岩下(万平)先生など打つれ東西の山々散歩に火をくらし申候」とかけっこうやっていたというか、万葉から新古今にいたる名歌の跡を辿っていたのではないか、というのには個人的に「なるほどぉ」と思いました。

 産業革命をを成功させたのはかつて封建制を経験した西欧と日本だけであり、割拠する地方の政治力と経済力を涵養したというのも、そこまでクリアカットにいわれるとハッとします(p.176)。

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