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July 10, 2010

『DNAでたどる日本人10万年の旅』

Dna_japan

『DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』崎谷満、昭和堂

 長いタイムスパンの追跡に適しているといわれるY染色体のDNA染色体分析を使って、出アフリカした現世人類の日本列島への多様な移動ルートを推定して、驚くべき結論を導いている本。

 結論的にいえば日本列島はC、DE、FRに大きく分けられる3つのグループのヒト集団が世界で唯一、共存している地域であり、特にD2に分類されるDNAを持つグループは日本列島にしかまとまっておらず、その希少なグループが使っていた言語が日本語として残っているため、日本語は他の言語との比較が不可能だった、といいます。

 08年に出たこの本を知ったのは『縄文聖地巡礼』坂本龍一、中沢新一、木楽舎で触れられていたから。『縄文聖地巡礼』では、縄文の多様性を強調していたのですが、3回あったといわれる出アフリカのグループがユーラシア大陸で互いに激しく生存の場を争っているうちに、敗者たちがカラフト、朝鮮半島、沖縄列島などから次々と日本列島にたどり着き、その豊かな自然環境に守られることで、他のグループと絶滅をかけてまで争うことなく共存する道を選び、いまの日本をつくったというストーリーは、妙に納得できるものがありますし、ストンと胸に落ちるものがあります。

 このうち日本の主流となったD系統はユーラシア大陸南部を東に移動し、インド東端あたりで北上、一部はモンゴルに達し、その後、華北から朝鮮半島を経て日本列島に渡ってきたことが推定されるそうです(p.23)。

 まとめると日本列島にやってきたヒト集団が担っていた文化は、後期旧石器時代には移動性狩猟文化、新石器時代には縄文を担うD2と貝文文化のC1およびN系統が、金属器時代以降には黄河文明に敗れた長江文明のO2b(渡来型弥生人と想定)とO2a集団がやってきて、その後も黄河文明やオーストロネシアなどの系統も渡ってきたそうです。まさに多型性の地域(p.34)。そして、それは東アジアの変動を表すヒト集団の避難場所だった、と(p.37)。

 この後、この本は大型ほ乳類の絶滅と、食糧獲得手段の多様化の必要性、それによる石器や土器の分布などの話も面白かったのですが、やはり感動したのは日本語の成立に関する仮説。《D2系統がまとまって確認できるのは日本列島だけであるので、D2系統が日本列島へ持ち込んだと思われる日本語祖語と同系統の言語を世界中探しても発見できなかった》(p.100)というあたりは涙が出そうになりました。と同時に、D1、D3系統のチベット・ビルマ系祖語と日本語との関連性の研究が楽しみです。

 あと、個人的に世界観が変わったかもしれないと思ったのが、成人T細胞白血病の細胞分析からきていたアイヌ・沖縄同根説が違うかもしれない、というのと、琉球語には西九州の影響が強く残っている、というあたりですかね。

 また、同じ日本語でも東北地方では時制の発達が未熟で「でした」と「です」の時制的区別は生じてないのに、山陽以西の西日本では「食べた」「食べとった」「食べよった」がそれぞれアオリスト、過去未完了、過去完了という複雑な時制を表しているというあたりも初めて知る話でしたので、驚きました。

 よく「秘密の県民ショー」などで、東北の人たちが、電話口で自分のことを「小笠原でした」とか「今野でした」とかやっているのを見て驚いたとこがあるのですが、これって、そういう意味だったのか…と。

 残念ながら絶版で、しかも、そうこうしているうちにどんどん研究が進んでいるのかもしれませんが、ぜひ、古本でも。

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