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July 02, 2010

『シリーズ 中国近現代史 1 清朝と近代世界 19世紀』#3

 ペリーは日本に向かう途上で那覇の港に寄港、幕府にも那覇の開港を求めますが、徳川側は那覇に関しては議論することを拒否します。帰路、ペリーは那覇で開港を求め、琉球は薩摩の承認のもとにアメリカとの修好条約に調印。さらにフランス、オランダとも条約を結びます(pp.119-)。

 明治政府も琉球をどうするかは対外的にも頭を悩ます問題だったようで、こうした場合によくあるように、暴力的な解決が図られます。日本にとっての沖縄の位置付けと似ているのが、清王朝にとっての台湾。1871年、琉球王朝の支配下にあった宮古島から貢納物を那覇に運んだ船が、帰りに台湾まで流され、現地の住民によって殺される、という複雑な問題が発生します。副島種臣は日清修好条約批准のあと、清朝の意向を探るのですが、台湾に関しては「生蕃(先住民)は統治の対象ではない」、朝鮮に関しては「属国だが内政・外交には関与しない」という言葉を引き出します。

 ちょっとつまらない話をしますと、ぼくは米グラント大統領の世界旅行の途中、日本で異国情緒にあふれた難事件を解決するというフィクションの探偵物を考えたことがあるんですが、それはおいといて、彼は李鴻章などから琉球問題での調停を依頼され、宮古・八重山は清朝に属するという方向での交渉も行われます(p.123)。

 ここでも、閑話休題しますが、沖縄と一口でいっても、DNAや言語でみても「奄美、沖縄本島、八重山」という三つの地域差は明らかに違うそうで(『DNAでたどる日本人10万年の旅』崎谷満、昭和堂)、当時の議論も明かにこうした背景があったんだろうな、と感じます。

 さらに言えば琉球、台湾と似ているのがアメリカとハワイの関係。カメハメハ大王による統一は1810年と遅く、経済的支配の基盤となりうる白檀(中国名は栴檀、センダン)を乱獲によって枯渇させてしまった後は、アメリカへ従属せざるを得なくなり、1898年には併合されます。

 19世紀後半は、国家以前の段階にあった太平洋の島々の帰属をどうするか、という問題解決の時期でもあったんだな、と。

 この後も、現地化されたイスラム教が主導した反乱(というかイスラムとは元からそうしたもので、だから逆に原理主義的な動きが出てくるんだと思いますが)、奴隷制度の廃止と、それを補ってきた中米・カリブ海諸国の独立による労働力不足によって求められたクーリー貿易などに関する興味深い話が続きます。

 清朝はキューバ、ペルーにも役人を派遣して、境遇改善を図ろうとしたのですが、これなんかも、健気に自国民を慈しもうとする東洋的王朝の良質な意識の現れだと思いました(p.145)。

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