『 ハイデッガー カッセル講演』#1
『 ハイデッガー カッセル講演』後藤嘉也(訳)、平凡社ライブラリー
ハッピーリタイアメントしたら『ニーチェ』(邦訳は上巻のみ)と『ナトルプ報告』は英語でもいいから読みたいな、と思っているハイデッガーなのですが、遠い目標に向かって、ささやかに一歩ずつ、みたいな感じで書いてみます。
ハイデッガーはデュルタイについて《ヘーゲル哲学解体後、デュルタイがはじめて、それも歴史的精神科学を同時に顧慮しながら、歴史についての問いを根本的に提出し、多面的に研究しました》という評価を行っています(p.46)。生の目的を歴史から引き出し、歴史の発展とは人間が束縛から自由に向かうことである、というヘーゲルの究極は《ヨーロッパの諸文化の人間性は国家において具現される》ことです(p.52)。
そして、デュルタイの根本的な問いは生の概念についての問いだ、と(p.67)。デュルタイのテーマは精神的に存在するものとしての人間であり(p.68)、心の構造をただの形式として理解するのではなく、心的生そのもののありさまに固有のものとして理解する、と(p.69)。
デュルタイにとって諸構造はただの図式ではなく、生そのものの第一次的な生きた統一であり
1)心的生はみずからを展開する
2)心的生は自由であり、
3)獲得された連関によって規定されている。つまり、歴史である
というのが根本規定である、としています(p.71)。
この後、《どんな発見も歴史的連続性のなかにあり、歴史によっても規定されている》と現象学批判に行き、《存在の意味に近づくための未知を切り開くはたらきが、カテゴリー的直感なのです》とまとめます(p.81)。
これは《環境世界は、生物とならんで客観的に存在しているものではなく、その生物にとって開示され暴き出されて現に存在しているものなのです》という結論に向かいますが(p.85)、人間が特殊なのは《私自身と同じ存在性格をそなえながら現実には異なったものたちが共に現存在していること》であり、《世界内に存在すること(Das Sein-in-der Welt)は従って相互に存在することに》なる、と(p.87)。
次は明日にでも。
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