« 『統合失調症 I』 | Main | 末廣鮨のマグロの炙り »

March 15, 2010

『人間の建設』岡潔、小林秀雄

Ningen_no_kensetsu

『人間の建設』岡潔、小林秀雄、新潮文庫

 これまでは小林秀雄全集でしか読めなかった対談を、最近の数学ブームといいますか脳トレブームに乗ろうとしたのか、新潮社が文庫化したのが本書。

 対談の中身は150頁弱。しかも、かなり行間もゆったりめにとってあるので、通勤の途中で読むものがなくなったみたいな場合にぴったりでしょうかね。ぼくも、そんな感じで手にとりました。

 対談のきつかけとなったのは岡さんの『春宵十話』を小林秀雄さんが激賞したというあたりだったんでしょうかね。

 読んでいて面白いなと思ったのは、芭蕉の句がこれだけ残っているのは、本人を良く知っていた弟子たちが、名句だとみんなで言ったからであって、そこには《芭蕉に附き合った人だけにわかっている何か微妙なものがあるのじゃないか》というあたり(p.77)。この話には、小林秀雄が知り合いの骨董屋さんから、李朝(たぶん白磁)の徳利をぶんどるようにしてポケットにねじ込んで持ってきてしまった日の俳句が、たまたま残っていたという前段があります。小林秀雄は死んでしまったその骨董商の息子さんから俳句集に前書きを書いてくれないかと頼まれて、あらためてその俳句を眺めてみると、その人を知っているからこそのおもしろみがあった、というんです。

 あと永井龍男の『青梅雨』は読んでみようかな、と。

 これは一家心中のことを書いたものです。冒頭に、老夫婦、養女、義姉が一家心中したという新聞報道が出ておりまして、それからが彼のイマジネーションなんです。カルチモンを飲んで死ぬ、その晩の話を書いている。お湯にはいり、浴衣に着かえて、新しい足袋をはいて、親父は一杯つけて、普通の話をしている。最後に養女が、だけどお父さん、きょう死ぬということをお婆さんも姉さんも一言も言いませんでしたよ、あたしえらいと思ったわ、といってちょっと泣くのです。その泣いたところが、今夜のこの家でふさわしくないただ一つの情景であったと書いている。そして最後にまた新聞記者の、じつに軽薄な会話がちょいと出る。私はこの小説に感心したのですが、これはモウパッサンやチエホフにもないものです。日本人だから書ける小説なのです。心理描写もなければ、理窟も何も書いてない。しかし日本人にはわかるのです。

 という小林秀雄の語りがよかったから(p.142-)。

 このあと、お二人とも素読教育の必要性で意気投合するのですが、ぼくなんかも、素読なんか教えてもらえるような家ではなかったので、そんなのをやってもらっていれば、と憧れに似た気分を持ちますね。

 論語の意味なんて、人により、年齢によってさまざな意味にとれるし、一生かかってもわからないかもしれない。それなら意味を教えるのは曖昧な教育であり《丸暗記させる教育だけが、はっきりした教育です》(p.145)あたりは、なかなかええな、と。

|

« 『統合失調症 I』 | Main | 末廣鮨のマグロの炙り »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/47815179

Listed below are links to weblogs that reference 『人間の建設』岡潔、小林秀雄:

« 『統合失調症 I』 | Main | 末廣鮨のマグロの炙り »