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March 21, 2010

『歴代陸軍大将全覧 昭和篇/太平洋戦争期』

Generals

『歴代陸軍大将全覧 昭和篇/太平洋戦争期』半藤一利, 秦郁彦, 原剛, 横山恵一、中公新書ラクレ

 明治、大正、昭和/満州事変・支那事変期と続いたシリーズの完結編。1941〜45年に大将に親任された26人の人物評を4人が語り合う、というもの。

 写真が掲げられている人と、掲げられていない人がいるのですが、まあ、結果を知っているからかもしれないけど、敗戦に向かってどんどん、味がある顔の人が少なくっていく感じがします。
 
 最初に取り上げられている岡村寧次大将なんか実に深い愛嬌を感じさせるいいキャラクターです。
 
 岡村大将はバーデン・バーデンの密約にも参加したほどの人物ですが、その「永田の後に永田なし」といわれる永田鉄山が軍務局長の時に刺殺され、十六期の三羽烏の中で残ったのは彼だけになりました。武漢攻略戦の指揮もとるなど、軍司令官としても活躍するのですが、市街地突入に際して「掠奪、放火、強姦の絶無を期するよう、軍参謀長から注意事項を下達させ」たそうです。投降後も終戦処理に従事し、戦犯容疑で収監されるも無罪となり、中国共産党からの要求はあったものの、国民政府は日本に帰してしまったそうです。その後、台湾に移った蒋介石から協力を求められ、元参謀を主体とした「白団」(パイダン)を送ります。なんとも魅力的な人物だったと思いますね。
 
 後半に出てくる方では敗戦後に最後の陸軍大臣として帝国議会で国民に謝罪した下村定大将なんかも実にいい顔といいますか、静かな清潔そうな顔をしています。爽やかなイメージがするし『聖将の面影』という本もでているぐらいです。この方は外交官からゴルフをすすめられてもしないし、休日も印半纏の着通しで洋服など持たない。なぜかというと「戦へる 部下を想えば 休日も せめて戎衣を脱がで 暮さむ」という心境だった、と。さらに敗戦後、11月28日の帝国議会衆議院本会議において、あと二日で陸海軍省が廃止されるという時、最後の陸軍大臣として、なぜこのような事態を招いたのか、と質問され、以下のように答えたそうです。
 

 「いわゆる軍国主義の発生につきましては、陸軍と致しましては、陸軍内の者が軍人としての正しきものの考え方を誤ったこと、とくに指導の地位にあります者がやり方が悪かったことと、これが根本であると信じます。このことが内外のいろいろな情勢と、複雑な因果関係を生じまして、ある者は軍の力を背景とし、ある者は勢いに乗じまして、いわゆる独善的な、横暴な措置をとった者があると信じます。ことに許すべからざることは、軍の不当なる政治干渉であります。かようなことが重大な原因となりまして、今回のごとき悲痛な状態を、国家にもたらしましたことは、何とも申し訳がありませぬ。私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じてこの点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。陸軍は解体を致します。 過去の罪責に対しまして私共は今後、事実をもってお詫び申し上げること、事実をもって罪をつぐなうことは出来ませぬ。まことに残念でありますが、どうか従来からの国民各位のご同情に訴えまして、この陸軍の過去における罪悪のために、ただいま齋藤君の御質問にもありましたように、純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことをこの際切にお願いいたします」

 「何とも申し訳がありませぬ」で深々と頭を下げると大きな拍手がわいたそうで、「幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことをこの際切にお願いいたします」で終わると粛然とした議場から、「もういい、もういい」という声もあがったそうです。泰さんが語っているんですが「あの演説で旧陸軍の罪の三分の一くらいは、減った」という感じでしょうかね。

 後は、印象に残った方々を簡単に…
 
 「加賀百万石」の当主だった前田利為大将は満洲駐屯となった際、前田家秘書が不潔だった師団長官舎を改修し、水洗便所などを整えたそうです(なにせ家来が140人いたそうで)。もちろん自費で。また、ボルネオにおいて飛行機事故でお亡くなりになるんですが、これを陸士17期の同期生だった東条英機は相続税が免除される戦死ではなく、戦費ほしさに陣死扱いにするとしたそうです。もっとも、前田家が議会を動かしたのか、戦死扱いになったそうですが。

 同じく戦死によって進級した戦没大将である鈴木宗作大将は、陸軍幼年学校時代は紅顔の美少年として有名だったそうで、上級生からおいかけまわされたそうです。この方面は軍事史の中でも遅れているそうですから、どなたかにやっていただければな、と思いますw
 
 また、「今村の軍政は日本陸軍の清涼剤」といわしめ、戦後は自らつくった三畳の謹慎小屋で過ごした今村均大将が、陸大教育の欠点として1)25、6歳の青年が将師の態度をとって隊付き将校を見下した2)補給を考慮しなかった3)教官に他では使いにくい豪傑肌の者を持ってきていた、というのをあげているのは傾聴に値する意見だな、と思います。

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