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January 19, 2010

『民主主義が一度もなかった国・日本』

Democrat_japan

『民主主義が一度もなかった国・日本』宮台真司、福山哲郎、幻冬舎新書

 宮台さんはオウムの時の『終わりなき日常を生きろ』もそうだけど、あまり考えずに反射神経で出す本の方がいいと思っています。頭ん中こねくりまわしたようなのは面白くないというか、何がいいたいのかよくわからないので、今回のは多少期待して読みました。

 手にとってみたのは腰巻と背表紙がなかなかいいから。それは前書きとほぼ同じになるんですが、豊かな時代に民主主義は不要で自民党の談合政治にまかせておけばよかったが、経済が収縮する中では荒廃に直結する、と。「考えないで俺に任せろ」という運転手のバスに、つい最近まで乗っていたようなものだ、と。バスがガードレールを突き破り、がけから落ち寸前で止まったのが、今回の政権交代で、多くの国民は気づいていないが、これは革命だったのだ、と。愚かなくせに「とにかく任せろ」という運転手を、「乗客の指示に従う」という運転手に国民が取り替えたのだ、と。しかし油断は禁物。道行きを運転手に丸投げしてはいけないーというのがその要約。

 そんな政権交代の意義について、外務副大臣になった福山哲郎代議士と7時間にわたって緊急対談し、一週間後に仕上がったテープ起こしをした原稿を3日かけて手を入れ、企画から出版まで2ヵ月で出した、とうのがこの本。

 印象的なところは、欧州と米国の保守には国家の恐ろしさに関わる「悲劇の共有」というバックグラウンドがあるが、日本の保守は自明性に埋没した思考停止か、国旗国歌に噴き上がる思考停止で「国家介入を排した社会保全」に頭を使う真の保守から遠い、といったあたり(p.29-30)。

 宮台さんは、さかんに自明性という言葉を使うのですが、タイトルにかかわる「民主主義がなかった日本」に関しては、江戸幕府による「任せる政治」の成功にさかのぼる400年ほどのカバナンスの伝統が日本にあったから民主主義が根付かなかった、といいます(p.35)。丸山真男流にいえば「作為の契機の不在」といいますか、現にある社会は、特に問題がない限りは自明なもので、意図的選択によって維持するべきとは考えられない、みたいな意識が強かった、と(p.54)。だから、選挙民は治世の自明性に埋没し、政策に投票するのではなく、「任せてたのにズルしやがって」というお灸をすえる行動につながっていた、と。それが、昨年夏の総選挙で変わったのかな、みたいな。

 最近、検察のリークに端を発した民主党へのネガティブキャンペーンが激しいのですが、民主党への支持率はあまり下がっていません。それは、自民党に人材がいないということが、かなりハッキリしてきたのと(既存の権益とのパイプだけに頼ってきた自民党の二世議員たちが、耳学問してきた労組出身者や松下政経塾あがりの若い民主党議員に資質でも能力でも負けているのが多いというのは由々しき問題だと思います)、やはり抜本的な少子高齢化対策による社会の存続を優先させなければならないという意識が広まってきたからなのかな、と思います。

 ぼくは民主党の政策で最も深く広く浸透していくのは「子ども手当」だと思います。《誰もが社会の存続から恩恵をこうむる以上、社会の存続に不可欠な人口学的再生産は公的事柄であり、公的事柄にコストを支払うのは当然だから》というコンセンサスは広がりをみせているのではないでしょうか(p.77)。

 それと農家への戸別補償。《そもそも土地生産性が工業や商業よりも低い農業に土地を使ってもらうには税金による所得補填が不可欠です、だから農家の現金収入は、フランスでは八割、英国では七割、米国では六割、税金や補助金によって補填されています》(p.89)というあたりも、なるほどな、と。

 内幕的に面白かったのは、自民党は派閥政治でしたから大臣、副大臣、政務官は互いにコミュニケーションがとれていなかったことを幸いに、官僚たちは情報にバイアスをかけて発信し、分断を図っていたのでないか、というあたり(p.107-)。民主党は今のところ、ついこの間までは小所帯だったので、互いのケータイの番号を知っているから副大臣でも総理、副総理、官房長官とも直で話しあえるし、政務三役とも深くコミュニケーションがとれている、らしいです。

 また、これまでは将来予測に基づいて政策を決定するフォアキャスティング方式で政策がつくられてきたが、これからは将来の有るべき姿から逆算して必要な政策を具体化するバックキャスティング方式でやらなきゃいけない、というあたりも、なるほどな、と(p.148)。

 核の傘あたりは、宮台さんの話も床屋政談っぽくなってはいますが、全体としては、よかったんしゃないですかね。特に自明性に関しては、ドイツの例がよかった。ハーバマスは統合前には「憲法パトリオティズム」を唱え、ボン基本法(憲法)に合意したのがドイツ国民なのだ、と主張していました。しかし、東西ドイツの統合後、ボン基本法を読んだこともない東ドイツの人間は、誰ひとりポーランド国籍など選ばず、ドイツ国民になりました。もちろんもこうした自明性も底が抜けているというか、恣意的なものではありますが、任意性の高低によって正統化される、と。

 にしても、自民党時代と同じように〝政治とカネ〟の問題しか大手メディアが取り上げていないのは、いくらこれを錦の御旗にして批判する分には文句が言われないにしても、こればっかりというのでは、政策に関する不勉強を隠していると言われても仕方ありませんよね。本書による大手メディアに対する宮台さんの批判は「俗情に媚びたポピュリズム」とかスゴイです(p.130)。

 福山副大臣も「こういう話はテレビでもたぶんじっくり話せない。なぜなら話してもたぶん誰かが割り込んできて最後まで聞いてもらえるような状況は絶対つくれないでしょう。だからやっぱりこういう本で話をさせてもらって、最初はある程度限定された読者から理解が広まっていくってのが一番いいでしょうね」というあたりは、大手メディアへの絶望感の吐露に思えます(p.202)。

 にしても、自民党も自分たちのことは棚に上げて、国会審議で〝政治とカネ〟をやろうってのは、情けないというか、ますます見放されるんじゃないですかね。

 今回の政権交代に関するぼくの個人的なイメージは、能力も気力もなくなった老害の経営者が排除され、労組代表と銀行から送り込まれた若手で再建中の日本株式会社みたいな感じですかね。偉そうに言っちゃって申し訳ないんですが、面白いんで、ぜひ。

[目次]
第1章 日本の政治、何が変わったのか?
第2章 日本の自画像
第3章 民主主義の代償
第4章 日本の内と外
第5章 アジアの中の日本
第6章 閉ざされた政治空間
第7章 日本の未来

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