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January 02, 2010

『1968』#2 山村工作隊のオーラルヒストリーを

1968_2

 断片的にしか書いて行けないんですが、簡単に。

 小熊さんが類書と比べて、70年安保の問題で大きく扱っているのはリブの問題と、華青闘の話だと思います。リブに関しては、17章を丸々使って書いていますが、14章「1970年のパラダイム転換」には華青闘を含めてあまり言われてこなかったことが書かれているような気がして、興味深く読みました。

 そして14章の中でも「武装闘争論の台頭」は、今となっては、なんで、あんなことを考える人たちが出てきたのか、と信じられない思いで読む方が多いと思います。集団心理の怖さといいますか、閉ざされた集団の中では威勢のいいことを言った方が勝ち、みたいな雰囲気が幅をきかせるんだな、と改めて慄然とする思いです。

 で、小熊さんが重要な指摘をしていると思うのですが、それは小田実の《若者には武器を持つことの意味ーそのおそろしさ、おぞましさが十分に判っていないように見えた》という言葉を紹介した後の、同じベ平連の栗原幸夫さんのインタビュー。

 栗原さんは1950年代の日共の武装闘争時代の経験者なんですが、武装という非合法の手段を選択すると、いたるところでスパイ問題や査問が蔓延して、信頼関係などなくなり、一般の党員が絶対にチェックできない秘密のヴェールに包まれた部分が生まれてしまう、と語っているんです。

 そして小熊さんは《しかしこうした問題は、五五年の六全協で日本共産党が武装闘争路線を放棄したあと、十分に総括もされず、その教訓も若い世代にうけつがれていなかった。そうした状況下で、武装闘争への傾斜が進んでいった》と書きます(下巻、p.294)。

 日共は連合赤軍事件が発覚した後、「政府、自民党、治安当局が彼ら反共暴力集団に対して『泳がせ政策』をとってきた」といつものように批判したのですが、自分たちの責任(武装党争時代の総括)も果たさないでおいて何いってんだみたいな話だな、と感じます(同、p.654)

 それと正反対なことをやったのがベ平連。ベ平連は、米兵の脱走兵を逃がすということも行っていたのですが、これは絶対にスパイだ、と判っているような人物も受けいれ、実際に自分たちが逮捕されるようなことをやっています。

 しかし、その当事者は、それでよかった、と述懐しています。もしあの時、スパイだとして放り出したら、かくまっている米兵すべてを疑うようになり、あげくの果てにはリンチや殺人まで起こったかもしれない、と。そして《連合赤軍事件でもオウム真理教事件でも、世の中におおっぴらになる前に起きたことは、まず仲間内の疑心暗鬼と殺し合いだった》と指摘します。

 ベ平連で米兵を逃がすなどの活動を指揮した人間は「スパイではないという可能性が少しでもあるなら、支援すべきだ。かりにスパイであっても、われわれが損害を甘受すればすむことだ」と語っていたということですが、これは数少ない救いの言葉だと感じました(同、p.398-)。

 それと同時に、連合赤軍の事件に関しては、あれほど書かれているのに、山村工作隊の資料は少なすぎると思います。日共が、山村工作隊時代の関係者から話を聞き、同時に当時の幹部たちからどんな指示が出されていたか、などを明らかにして公表することは、彼らが世の中に貢献できる数少ないことだと思います。

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