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December 04, 2009

『坂の上の雲』の「友情、努力、勝利」

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 NHKの『坂の上の雲』いいですねぇ。

 久々に読み返しているんですが、自分の文春文庫の奥付を見ると1988年第24刷となっていますから20年ぶりですか。いやー、ほとんど忘れていて、やんなります。

 それはさておき、ぼくは司馬遼太郎という人は、半藤さんたちが『司馬遼太郎 日本のリーダーの条件』で語っているのと同じように「青春小説家」だと思っています。司馬さんが国民作家としての第一歩を踏み出したのは『龍馬がゆく』でしたが、なぜ、当時は忘れられたような存在だった坂本龍馬を持ち出したかというと、『竜馬がゆく』第2巻のあとがきに自身で書いているように《日本史が所有している青春のなかで、世界のどの民族の前に出しても十分に共感を呼ぶにたる青春は、坂本竜馬のそれしかない》からだったし、「青春小説」みたいなのが得意だったからだと思います。

 だから、司馬遼信仰みたいなのは気持ち悪い。大学で教えているような歴史家までが逝っちゃってるような例もあってなんだかなぁ、みたいな。

 『司馬遼太郎 日本のリーダーの条件』で関川夏央さんが語っているように《『坂の上の雲』も、近代日本の青春というイメージで書いていったんだと思います。ですから登場人物の造作も少々、デフォルメされている。政治家や企業人などが、竜馬などを露骨に自分の人生の手本みたいに喧伝するのは、司馬遼太郎自身も不本意でしょう》(月刊文藝春秋2008年8月号 p.133)。まあ、それだけ幅広い人気を誇ったということなんでしょうがw

 『坂の上の雲』は1968年~72年にかけてサンケイに連載されていました。

 ですから、つまらないことを言うと、どんなに頑張っても使えた史料というのも60年代までのものが大部分だと思います。

 ということで、もし「歴史」として見るならば、決定的に欠けていたのが90年代以降のソ連崩壊後に発掘された史料、特に旧帝政ロシアが、どのように日露戦争を見ていたかに関する史料ではないでしょうか。

 加藤陽子さんの書評や引用でしか知りませんが、当時、ロシア側が日本に「勝てなかった」理由としてあげていたのは陸軍と海軍による共同作戦だった、というんですね*1。これはもちろん旅順攻略に関するもので、湾内を封鎖するとともに、要塞は陸上から攻めるという作戦です。こうした連携プレーを旧帝政ロシアの軍人たちは新鮮なものとして受け止めていたというんです。

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 で、文庫本の2巻とか読むと、主人公である秋山真之が米西戦争のキューバを観戦武官として視察する、という場面が出てきます。ここで、米軍が行おうとして失敗した艦船を水路の狭いところで自沈させて封鎖するというサンチャゴ閉塞作戦を、旅順港閉塞作戦の参考としたことが詳しく描かれていますが、「要塞は陸上から攻める」という部分に関しては十分、描きれていなかったなぁ、と感じます。

 別にケチをつけるつものではありませんが、やっぱり、これは青春小説というか、ある状況に放り込まれた若者が艱難辛苦を経て勝つという、少年ジャンプではありませんが恐ろしくよく出来た「友情、努力、勝利」の物語だと思います。

*1手に入りやすいものでは『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社、2009、p.145-149に紹介されているスヴェーチンの報告(『日露戦争史』横手慎二、中公新書)。また、『戦争を読む』勁草書房、2007では、松山のような温暖な城下町の「隣近所」から、合理的精神と気概をもった人物が排出し、国家の一大事に活躍するといった「夢十夜」的な気分にいつまでも浸るのではなく、日本側が陸海共同作戦に成功を収めたことで、歴史の時計は世界大戦・総力戦へと一気に進んだ、という洞察も大切だ、と書いています(p.23-24)。

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