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October 03, 2009

『「J」の履歴書』川淵三郎

J_kawabuchi

『「J」の履歴書 日本サッカーとともに』川淵三郎、日本経済新聞出版社

 「日本サッカー最大の恩人は誰か」と問われれば、躊躇なく「川淵三郎さん」と答えます。

 1968年のメキシコ五輪の銅メダル以降、低迷を続けた日本サッカー。ワールドカップはおろか、オリンピックさえも"アジアの壁"という自分のココロの中につくった壁を越えられずに時間だけが過ぎ去り、遙に追い越された韓国でさえ、自信満々で臨んだワールドカップで子供扱いされる始末。そんな、世界との距離感を測るモノサシさえ失ったかに見えた日本サッカー界にあって、51歳で古河電工での出世を諦めさせられた元東京オリンピックでのゴールゲッター、川淵三郎さんはプロリーグの立ち上げという遠いけど、そこを経由しなければならないという目標を見据え、橋頭堡を築き、アトランタオリンピック出場、フランスワールドカップ出場、Jリーグ立ち上げ、ワールドカップ招致を成し遂げていきました。こうした力強い成功の物語はバブル以降、ほとんどないんじゃないでしょうか。

 しかも、単なるサッカーの成功に留まらず「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」という、ちょっと声に出して読むと恥ずかしいような理念を掲げ、「校庭緑化」「こころのプロジェクト」という国内のブロジェクトだけでなく、アジアのサッカー強化なども進めています。

 相撲、柔道と野球という"国技"を除いて、川淵さんと比肩されるうるのはバレーボール界の松平康隆さんぐらいでしょうが、松平さんでさえ、金銭的スキャンダルによって失脚した後はフジテレビとのタイアップぐらいしか後世に残せませんでした。あえて言わせてもらえば、男子バレーは1972年のミュンヘン五輪を乗り越えられずにいます。

 ぼくはサッカー界の内情には詳しくありませんが、こうした功績を語ることについて「川淵キャプテンだけが、手柄を独り占めにしている」「Jリーグ立ち上げまでの功績は認めるが、日本サッカー協会の会長就任後のジーコを監督にした責任、ドイツW杯の2敗1分という惨憺たる成績の総括をせぬまま、オシムジャパンを立ち上げ、協会の会長に居座ったことはおかしい」という声も聞かれます。

 こうした声に対して、自分の生い立ちから、Jの立ち上げ、日本代表の監督問題までを自分なりに明らかにすることを目的に書かれたのが『「J」の履歴書』ではないかと思います。

 もちろん最初はちょっと、言い訳がましい。「こころのプロジェクト」の一環として行われている"夢先生"のとして母校の高石小学校で行った授業の感想文として「させん(左遷)されて大変だったけれど、ざせつしなかったキャプテンはすごい」というのを紹介するのはいかがなものかとは思うけど、全体としてニュートラルに自分の半生を語っていると思います(川淵さんの批判者は、書物にして、批判をしなければならないと思います)。

 ぼくが知らなかっただけなのかもしれませんが、いろいろな裏話が聞けたのも嬉しい限り。

 Jリーグの立ち上げの際、企業名を外す件に関して《浦和と名乗ったら、埼玉じゃ、大宮の連中はぜったいに応援しないと思うよ。だから三菱自動車の方がいいんじゃないかな》と忠告してくれた人がいたとか(p.113)、規約づくりで一番参考にしたのはドイツで、それはドイツ・ブンデスリーグがヨーロッパで一番新しくできたプロリーグだから他のいいとこどりをした上で整然としたルールをつくっているに違いないと見込んだからだったとか(p.139)、PJMがマラドーナを獲りに行って実現しそうになったら、麻薬スキャンダルが発覚して頓挫したとか(p.134)、スタート当初に週二回の試合を組んだのは選手にスタナミをつけさせるのと専門のサッカー記者を育てるためだったとか(p.141)、いまでもJリーグがベストメンバー規定にこだわるのは後に導入することがほぼ決まりかけていたtotoで八百長疑惑をおこさせないためだったとか(p.156)。あと、例えば企業からの赤字補填の税金を負けてもらうために奔走し、ユニフォームの一部にも企業名を入れればOkという形にしたとか、さすがに企業スポーツから出発し、しかもサラリーマンとしてもいい線いった人の目配りも効いてます。

 あと、Jリーグアウォーズは夫婦同伴を原則としたが、奥さんたちの「着ていくものがない」という悩みに、雑誌とタイアップして、モデルとして写真を掲載するという条件でヘアメイク、洋服を全てもってもらうというアイデアも出したそうです(p.273)。

 ナベツネさんとの抗争は有名ですが、その背景に、J発足当初の異常なまでのベルディ人気があったというのは、実感として沸きませんでした。金沢八景というのは朝日新聞の金城湯池というか朝日のシェアが圧倒的に高い地区だったというのですが、ベルディの切符を持って拡販に行ったら面白いように読売に乗り換えてくれたというんですね(p.245)。これでナベツネさんもはりきっちゃった、と。直後に朝日新聞からも「ウチにもチームを持たせてくれ」という嘆願が来たというのも含めて笑っちゃいました。

 川淵さんの"身体検査"がほぼ間違いないと個人的に思うのは、ベルディの東京移転、読売呼称問題でナベツネさんと抗争していた時に読売新聞が総力を挙げて身辺調査を行って、あまり成果が出なかったから。当時、岡野俊一郎さんでさえ、川淵さんの行きつけのバーはどこだとか聞かれたというんですから、その調査は徹底したもんだったと思います(p.241)。

 また、J発足当初は、故障者がどれほど出るかわからないということで、選手の囲い込みに入り、浦和などは40名とプロ契約したというんですね。当時、プロ契約選手が故障でいなくなったら、下部組織の人間を連れてきて試合に出せばいい、という智恵はまだ知られていなかったそうです(p.260)。

 また、ベルマーレ平塚からフジタが手を引くときに、累積赤字をキレイに消していってくれたなんていのうも知りませんでしたし(p.220)、同じようなことを住金も鹿島に対して行っているようです。

 また、監督問題で知らなかったのは、ドイツワールドカップ予選で、07年6月にバーレーンと北朝鮮に連敗したら、ジーコは辞意を表明するだろうと思っていたが、無事、連勝して一番喜んでサッカー協会のキャプテンの部屋に訪ねてきたのは、当時ジェフ千葉の社長をつとめていた淀川隆博さんで、彼はもし連敗したらオシムを監督にくれと言ってくるに決まっていると思っていた、と打ち明けたというんです。まあ、ちょっと出来すぎのエピソード挿入という感じもしますが(p.296)。

 あとは印象に残ったところを紹介して終わりします。

 《プロとはアマチュアにとっての最高の手本であり、その最高のプロを生み出すのは豊かなスポーツ環境とアマチュアである、というヨーロッパではごく普通の世界をつくり出したかった》(p.89)

 《ただ、今でも思う。日本がここ(ドーハ)でW杯出場を果たしていたら、つまり韓国が出場を逃していたら、韓国は2002年W杯招致に手を挙げていただろうか、と》(p.188)

 《トルシエ時代の「約束事」「決め事」のサッカーに慣れた選手からも戸惑いの声を再三聞かされた。「細かく支持してくれないから困る」と。そんな愚痴の尻馬に乗って「ジーコには指導力がない」と結び付けて語る者もメディアに現われた。僕は、いやしくもサッカーのプロ選手ならば、それも代表選手ならば、監督から「好きにやってみろ」と言われたら、泣いて喜ぶのが筋だろうと思っていた》(p.294)

 ドイツW杯の初戦終了後《選手交代が当ったオーストラリアのヒディング監督は神のように崇められ、ジーコは采配を含め徹底的に批判された。が、僕には小野伸二の交代投入の是非を含めてすべて結果論に思え、空しく感じた(中略)一方的な賛辞と一方的な非難が交錯することになる。これが勝負の怖さである》(p.314)

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Comments

通りすがりです。
正直、彼に対しては否定的な意見を持っています。強く。
が、たしかに功績を含め、彼にしか語れないこともあるのでしょう。
キャプテンになってからはあれですが、
J発足のあたりの話は興味深いです。

ひとつだけ、前半の「アテネオリンピック」は、
流れ上「アトランタ」ではないでしょうか。
重箱の隅ですみません。

Posted by: いちサポ | October 07, 2009 at 02:16 PM

すいませーん、直しておきます。ありがとうございました!

Posted by: pata | October 07, 2009 at 02:18 PM

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

Posted by: 職務経歴書の書き方 | February 09, 2012 at 09:51 AM

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