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September 16, 2009

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

Soredomo

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子、朝日出版社

 今年のベストワンは池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』だと思っていたけど、これも面白い!講義録というのはそれだけでも理解が進むけど、出来の良い高校生相手に語ってくれると、本当に分りやすい。思い切ったことも勢いで言ってくれる感じもするし。

 加藤陽子さんは何回も書くけど岩波の日本近現代史シリーズの『満州事変から日中戦争へ』を読んで、なかなか素晴らしいと思ったんです。で、専門は1930年代の軍事と外交という加藤さんが日清、日露、第一次大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争という日本が経験した五つの戦争(あえて勝敗をつけるなら3勝1敗1引き分けでしょうか)をなぜ戦わなければならなかったのかを徹底的に高校生たちに考えさせ、最後には思い切った自説のエッセンスを明らかにします。

 そんな中でも意外といいのが序章。総動員体制が必要になってくる近代以降の戦争では、国家は戦うための目標を掲げなければならず、膨大な戦死者が出たとき国家は新たな"憲法"を必要とし、さらに言えば《戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の、憲法に対する攻撃、というかたちをとる》というルソーの「戦争および戦争状態論」を引用し、相手が最も大切だと思っている社会の基本を成り立たせる秩序に根本的な打撃を与えるのが戦争だというわけです。だから、太平洋戦争でアメリカは日本の国体を変えた、と。ルソーの引用文が載っている『憲法とは何か』長谷部恭男、岩波新書は読んでみようと思いました。

 また、E.H.カーの『歴史とは何か』にふれながら、人間は過去の歴史から学ぶけど、ベスト・アンド・ブライテストといえども、間違った教訓を引き出してしまうことを、フランス革命がナポレオンで終わってしまったことを知っていたソビエト指導部が、英雄トロツキーを選ばず、最もナポレオンからは遠い存在だったグルジア生まれのスターリンを選んでしまった、ということを語っていきます(ちなみに、ここらへんの論議は『歴史とは何か』のp.102あたり)。そして、第一次大戦の反省からアメリカは第二次世界大戦で敗戦国に無条件降伏を求めたが、その結果は東欧諸国へのソ連の影響力拡大に終わってしまった、と。また、内戦には不干渉という態度で臨むと共産中国の成立による中国喪失のように終わってしまうので、ベトナム戦争には徹底的に介入した、と。《人類は本当にさまざまなことを考え考えしながらも、大きな災厄を避けられずにきた》かもしれないが、やはり与えられた情報の中で過去の事例を思いだし、選択していきたい、というのはいいまとめだと思います。

 にしても、アメリカは徹底的な介入と、寸止めを交互に繰り返しているように思いますね。ベトナムは徹底介入で失敗、湾岸戦争は不徹底で失敗、イラク戦争は徹底して失敗、みたいな。次は不徹底で失敗するんですかね。

 いろいろ面白いところは続くのですが、リットン調査団の後、陸軍が計画した熱河侵攻作戦が実は国際連盟の規約上、新しい戦争を起こした国と認定されてしまう危険性をはらんでいることに、いったんはその作戦を認めた昭和天皇と斉藤首相が悩み、しかし、除名という不名誉を避けたいということで、自ら脱退してしまうという道を進んだというあたりは、よく語られていると感じました。これは内田外相の焦土外交だけが招いたものではありませんが、最終的には、もしいったん許可した作戦を取り消したりしたら天皇の権威が失われ、陸軍が反抗するだろうということで、やむなく下した決断だったと思います。しかし、もし、第二次大戦へのポイント・オブ・ノーリタンがどこだったか、ということであれば、それは熱河侵攻作戦だったかもしれませんね。侍従武官長だった奈良武次の日記に、昭和天皇が最後まで《統帥最高命令により、これ[熱河侵攻作戦]を中止せしめえざるや、と、やや興奮あそばされて》いま一度尋ねたことも触れられています。

 また、ノーベル文学賞候補にノミネートされたこともある文人外交官、胡適が1935年に駐米大使だった頃に書いた「日本切腹、中国介錯論」は初めて知りましたが、いや、加藤先生ではありませんが、すごい頭のいい人ですね。

中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲の限界を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿岸の港湾や長江の下流地域がすべて占領される。そのためには、敵国は海軍を大動員しなければならない。第二に、河北、山東、チャハル、綏遠、山西、河南といった諸省は陥落し、占領される。そのためには、敵国は陸軍を大動員しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには、日本は欧米と直接に衝突しなければいけない。我々はこのような困難な状況下におかれても、一切顧みないで苦戦を堅持していれば、二三年内に次の結果は期待できるだろう。(中略)満州に駐在した日本軍が西方や西南に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。世界中の人が中国に同情する。英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、極東における慰留民の利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるを得なくなる。太平洋の海戦がそれによって迫ってくる。

 というのはすごい見通しだな、と。さらに、批判されることの多い汪兆銘ですが、胡適と論争して、そのような戦争をやっていては、中国はソビエト化してしまう、という読みを語っていたそうです。汪兆銘夫人の「蒋介石は英米を選んだ、毛沢東はソ連を選んだ、自分の夫・汪兆銘は日本を選んだ。そこにどのような違いがあるのか」という言葉も初めて知りましたが、松岡洋右とともに、この本を読んで、少し自分の中で評価が変りました。

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