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September 20, 2009

『憲法とは何か』長谷部恭男、岩波新書

Kenpou

『憲法とは何か』長谷部恭男、岩波新書

 加藤陽子先生が『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で栄光学園の生徒さんたち相手に、目から鱗が落ちるほどの驚きと面白さを味わったと語っていたので、素早く購入して読んだのが長谷部恭男先生の『憲法とは何か』。加藤先生が目ウロコ状態になったのは、戦争とは相手国の社会契約に対する攻撃、つまり憲法に対して攻撃を行って、それを変容させるものだ、というルソーの『戦争および戦争状態論』の紹介によってですが、一読、ぼくの場合はさらにポロポロ落ちまくりでした。

 ぼくは何回か書きましたが、若い頃に受けた影響から、法律なんていう上部構造なんていうものは、経済を変えてしまえばどうにでもなるから、そんな恣意的なものを勉強しても対して役に立たない、なんてことを思って、まったく関心を持たないできました。だから、あまりにも初心者的に驚いているのかもしれませんが、まあ、笑ってお許しください。

 さて、長谷部先生は、立憲主義とは、生活領域を私的な領域と公的な領域に区分して、私的な領域では各自の信奉する価値観に沿って生きる権利が保障されるけど、公的な領域では、社会全てのメンバーに共通する利益を追求するものでなければならず、これは、人々に血みどろの紛争を避けるかわりに、ある程度の無理を強いる枠組みだ、というんですね。この概念規定はスッキリしているな、と(ぼくが知らなかっただけでしょうが)。

 戦前の日本型ファシズムでは公的領域と私的領域の切り分けは否定されていて、人々の全ての行動は、直近の上司、究極的には天皇への奉仕として意味づけられていた、と。そして天皇自身も皇祖皇宗から自由ではなく、結局、日本では誰ひとりとして自由な人間はおらず、自らの行動に責任をとる用意をしている人間も誰ひとりいなかった、と(p.13)。

 この本は、自民党が郵政選挙で圧勝した勢いを持って、能力・識見とも史上最低の首相であったことを露呈する安倍晋三の元で、憲法改正の動きに出そうとしていた時期に書かれました。長谷部さんは、もちろん、こうした動きには反対の立場なのですが、その前提として、太平洋戦争の敗北によって日本はアメリカによって国体を変更されていることを強調します。日本は、あれ以上の国土と暮らしの破壊を防ぐために、無条件降伏をして、その結果、根本的な社会契約=憲法を変えることを受け入れたのだ、と。

 改憲派の目的は憲法九条の改正ですが、現状の九条で自衛隊を保有していもなんら問題はない、というのが長谷部先生のお立場(ぼくもそうです)。

たとえば、憲法九条の文言にもかかわらず自衛のための実力の保持を認めることは、立憲主義を揺るがす危険があるという議論があるが、これは手段にすぎない憲法典の文言を自己目的化する議論である。立憲主義の背後にある考え方からすれば、特定の生き方を「善き生き方」として人びとに強制するとは、許されない。公と私の区分を無視し、特定の生き方を他の生き方に優越するものとして押しつけることになるからである。しかし、自衛のための実力を保持することなく国民の生命や財産を実効的に守ることができるかといえば、それは非現実的といわざるをえない。となると、それを憲法が命じているという解釈は、それでもそれが唯一の「善き生き方」であるからという理由で、国民の生命・財産の保護という社会全体の利益の実現の如何とはかかわりなく、特定の価値観を全国民に押しつけるものと考えざるをえない。
 九条の文言は、たしかに自衛のための実力の保持を認めていないかに見えるが、同様に、「一切の表現の自由」を保障する二一条も表現活動に対する制約は全く認めていないかに見える。それでも、わいせつつ表現や名誉毀損を禁止することが許されないとする非常識な議論は存在しない。


 として九条や二一条は原理(principle)であり準拠(rule)ではないとして、九条が準拠(rule)であるという解釈は立憲主義とは相容れないと切り捨てます(p.72)。

 そして憲法が通常の法律より、変えにくくなっているのは、危なっかしいことで憲法をいじるのはやめて、通常のプロセスで解決できる問題に政治のエネルギーを集中させるためだ、としています(スペインやスウェーデンでは総選挙を挟んで二度の国会発議が必要とか)。

 また、日本の憲法九条がああいう文言となっているのは、戦前の陸軍が公共空間を脅かしたことを踏まえて、「軍」から正当性を剥奪し、公共空間を保全するためだったという視点も必要だ、としています(p.142)。

人々の生まれながらの権利をいかに実効的に保障すべきかという観点からすれば、国境や国籍、国家主権が持つ意味は相対的なものにすぎない。

 というあたりもスカッとクリアカットでいいなぁ、と(p.173)。東アジア共同体構想なんかも、こうした視点から見ればいいかな、と。

 それにして、この本を読むと、幼稚な国家主義的発想から不要不急の憲法改正にのめり込んでいった安部政権が、本来、対処しなければならない政策課題を放っておいた結果、年金問題などから総スカンを喰らって、今回のような大敗北を招いた、ということがよくわかります。

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