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September 05, 2009

『ウィトゲンシュタインはこう考えた』#8

[第4部 『哲学探究』の思想]の後半

『探求』SS185は、先生が生徒に整数の数え方を教える中で、2の倍数の数列を2, 4, 6,... のように教えたが、生徒は1000を過ぎたところで1000, 1004, 1008、1012と書き始めてしまった、という問題を扱っています。

 先生は「君は一体何をしているんだ!」と叱るでしょうが、生徒は「ぼくは1000を超えたら、1000、1004、1008、1012と書かなければならないのだと思っていた」と答えたとしたら、果たして先生は生徒に対して誤りを言葉で説明できるのでしょうか。「同じように」とか「自然に」と言っても、1000を越えたら違う規則になると生徒が信じていたら。そうした間違いは事前に具体的指示を与えない限り間違いだとは言い切れない、というわけです。

 しかし、すべてのことに具体的指示を与えることは不可能です。そうなると、人間はそれぞれが自然に感じることが違う特異な島に住む住人同士なのだと考えた方がいいのでしょうか。

 無数の公理を想定するよりは「自然数はこうだ」と定義した方が、人間生活に便利です。ということは、数学というのは人類学的現象だと考えた方がいいのでは。後期のウィトゲンシュタインはそう認識していきます。

 規則をマスターしていない人間には訓練などできないと絶望する前に、深く根底まで掘り下げることなく、《我々の前に横たわっている根底を根底として認め》たらどうか、と(MS164)。そして、あらゆる言語ゲームの根底にある原言語は「規則に従う」であると名付けます。

 言語を話すこと、ゲームをすること、といった人間の基本的な活動は制度であり、反復に耐え、さらに貨幣が貨幣制度という制度内制度の中でのみ流通するように、語りえない制度内制度を持つことが必要だといいます。

 そして、先ほどの生徒と先生の話ですが、先生は生徒に対して《「常識が正しい、しかし「常識的「意図」概念が間違っているため、常識は自分の正しさを説明できない》と教えることができます。1000を越えても2の倍数は1002、1004、1006と書くという意図は状況の中に埋め込まれているのです。そして意図は重制度的であり状況の中でしか存在できません。さきほどの貨幣の例で考えると、紙切れの中に貨幣の神秘的属性などはなく、貨幣制度があって、その中で反復して流通してきたから強固だというわけです。

 また、反復の重要性を説いていることは、ゲームとプレイの格付けを逆転させたともいえるかもしれません。いくらでも規則は作られますが、反復され強固になっていくゲームは少ないのです。となると、ゲームを成立させるのは、ゲームを定めた規則よりも、実践の方なのかもしれない、という。

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