民主党の勝利と田中派、ハイセイコー
《結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ》(『自己とはなにか』吉本隆明、p.201)
昨日の選挙結果の速報を見ながら、思い出していたのが、この一節です。
民主党の歴史的大勝利を噛みしめながら、4年前の郵政選挙後、あまりの自民党の勝ちっぷりに絶望したあげく、清和会のことを集中的に勉強したことも考えていました。
その時、フト見取り図が浮かんだことがあったのですが、それは清和会との永遠のライバルであった旧田中派のことでした。
田中派は田中角栄さんの後援会組織である越山会自体、冬は雪に閉ざされた地区の経済的支援を大きな目標にしており、袂を分かった竹下登さんも青年会活動では戦後直後の農地解放に積極的に動いたほか母親が福本和夫の教え子であり、その息子である福本邦雄をフィクサーとして使っていました(まあ、イデオロギー的にまったく正反対のことをやっていたのですが)。また、金丸信さんも含めて常に旧社会党に対して資金面での援助を行い、金丸信さんは社会党と経世会で二大政党をつくろうという構想まで明らかにしたこともありました。もちろん、三人の愛弟子が小沢一郎さんです。そうなると、どうも、旧田中派というか経世会は、庶民といいますか普通の人々といいますか、そこに軸足を置くという発想というか作風があったのではないか、と感じられるんです。
そんなことを考えるとエリート集団っぽい清和会が中心となった現在の自民党とは分かれざるを得ず(昔から田中派と福田派の抗争が一番激しかった)、日本的な二大政党の棲み分けができたのかな、と感じます。
もうひとつ思い出した詩がありました。それは寺山修司さんの『さらばハイセイコー』の一節。
ふりむくと
一人の少年が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた
もう、こんなに食べられないけど、実は、お昼にカレーを喰いました(正しくは中本・新宿店の印度丼、ヒヤミスープ、半熟卵付ですがw)。
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