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July 30, 2009

『裏支配 今明かされる田中角栄の真実』

Urashihai

『裏支配 今明かされる田中角栄の真実』田中良紹、廣済堂出版

 いろいろ忙しく、なかなか読んだ本の紹介ができないのですが、メモ的に…。

 これは『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』立花隆、文藝春秋で紹介されていた本。今さら…という感じもしないわけではありませんが、TBSの政治部・社会部記者としてコツコツと自分の知らない情報を集めていったという足跡が感じられます。例えば、ロッキード事件が発覚して、森脇将光、天川勇、荻野憲祐、延禎など児玉誉士夫を知る人物にインタビューしていったそうです。

 あと、立花隆さんも書いていますが、ナマの角栄さんの言葉が面白い。筆者は角栄さんのオフレコ懇談といいますか、話の聞き役になっていたそうで「政治は面積だ!人が住んでいないからといって原野に政治の恩恵が与えられなくて良いのかっ。都会のことだけを考えて政治が出来るか」「民主政治にに偶数はない!」(p.76)なんか名言でしようね。

『表舞台 裏舞台 福本邦雄回顧録』でも、福本イズムの福本和夫の長男で絵画を介した政治資金のロンダリングシステムを開発した福本邦雄氏と竹下元首相の親交が語られていましたが、元々、竹下さんのお母さんは教員として松江に赴任していた福本和夫の教えを受けていたというのは知りませんでした。竹下さんの実家は造り酒屋で、「大衆」という名前を酒のブランドにつけていたというのは有名ですが(現在は「出雲誉」)、その名付け親は福本和夫から感化された竹下さんのお母さんだったんですね(p.86)。

 竹下さんは旧佐藤総理邸に移る前は木造モルタル二階建ての家に住み、いつも自分で食器を洗い《地元から届けられたイカを自ら包丁でさばきながら、台所でこっそり盗み酒をする。それが家庭における竹下登氏の実像だった》(p.96)というあたりはなるほどな、と。

 二階堂さんが総理を目指したがはたせず、失意の時にインタビューして語った《田中(角栄)さんは、人生の話になると涙を流して話すところがある。頼まれれば自分を犠牲にして人を助けるところがある。官僚にはない人間の魅力があった》(p.151)というところも、なるほどな、と。

 電電公社の民営化は、工業化社会から情報化社会へと移り変わる世界史的な産業転換の流れの中で構想されたものだ、というあたりも改めて思い出しました(p.157)。同じように、ロッキード事件といえば今では田中元首相への5億円賄賂事件となっているが、賄賂の総額は55億円で、児玉ルートの流れ解明されていませんね(p.164)。

 また、田中角栄さんが逮捕されたのは、ソ連に近づくなどエネルギー政策の独自路線に走ったのにアメリカが激怒したからだ、というまことしやかな説が流されていますが、国会TVもつくった筆者によれば、ウォーターゲート事件の反省で全てをオープンにする過程で明らかにされた、という言い方の方に真実を感じます。

天川勇氏のこと

1 始めに

 別に誰かに口封じをされたわけではないのですが、「CIAの実相」シリーズ(太田述正コラム#1875、1876)を書いていて、天川勇氏のことを今まで書いたことがないことに気付きました。
 そこで、インターネットを漁ってみると、氏について、ほとんど情報らしい情報が得られないことが分かりました。
 かろうじて見つけたのが、以下の5つの資料です。
http://www.sophiakai.gr.jp/jp/modules/news/print.php?storyid=971
http://wldintel.blog60.fc2.com/blog-category-0.html
http://mojimojisk.cocolog-nifty.com/miz/2006/11/index.html
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/033/0514/03311090514005a.html
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/034/0514/03402220514014a.html
(いずれも7月23日アクセス。)

 ちなみに、最初の3つの資料は、勇氏の令嬢の天川由記子さん(現在帝京大学の国際関係論の先生)に関する資料と言った方がより正確ですが、この5つの資料それぞれのさわりの部分を私の掲示板に「コラム#1877典拠集」、「コラム#1877典拠集(続き)」 と題して掲げてあります。
 以下は、私の記憶と上記資料を下に執筆したものです。

2 天川氏を囲む勉強会

 (1)始めに

 1980年前後に元海軍大学教授の天川勇氏を囲む国際情勢の勉強会に初めて連れて行ってくれたのは、太田述正コラム#1329に登場するCさんでした。
 メンバーは研究者、ジャーナリスト、役人、商社員等20~30人であった記憶があります。

 当時新聞記者だった嶌信彦氏と新聞記者OBだった嶌氏のお父上もメンバーでした。
 令嬢の由記子さんも時々出席していました。

 メンバーになってしばらくすると、この勉強会のメンバーであることが大変な特権であることが分かってきました。
 というのは、福田赳夫(1905~95年。首相:1976~78年)氏の外交指南役であった天川氏は、財界のお歴々が集う勉強会等、いくつかの有料の勉強会の講師を務めており、一回何十万も謝金をもらっているけれど、われわれに対してはタダで講師をしてくれていたからです。

 どうして何十万も謝金を払ってでも天川氏の話をお歴々が聞きたかったのでしょうか?
 氏の話を聞けば、その時々の米国政府・・CIAと言うべきかもしれませんが・・の国際情勢観等がリアルタイムで分かったからです。

 (2)天川氏の凄さ

 天川氏の凄さをご説明しましょう。

 天川氏は、当時行われていたイラン・イラク戦争(1980~88年)について、実際に上空から戦場を見てきたと称して、両軍の配置や戦闘状況について、詳細に説明してくれたものです。
 天川氏は、この戦争は長引くし戦闘が行われている両国国境に近いとして、三井物産社員のメンバーに対し、毎回、イランとの合弁のイランの石油コンビナート(イラン・ジャパン石油化学=IJPC)事業から一刻も早く手を引けと三井物産上層部に伝えよと繰り返し熱弁をふるいました。
 
 私が腰を抜かすほど驚いたのは、1981年の日米安全保障会議(於ハワイ。日本側からは防衛事務次官及び外務審議官、米側からは国務省と国防省の次官補・・この会議かその前年の会議の時はそれぞれウォルフォヴィッツとアーミテージ・・が出席)に随員として出席して帰国し、1~2週間して天川勉強会に出た時です。
 1979年から始まったソ連のアフガニスタン侵攻を背景として、この時の日米安全保障会議では米側が、日本側に対して防衛力を強化するように特に強く迫ったのですが、この会議の米側作成の議事録をそのまま天川氏が入手しているとしか思えないほど、会議の議事次第、雰囲気、会議での日米間のやりとり等を微に入り細を穿って天川氏が説明したからです。
 天川氏も人が悪い。
 私がこの会議に出席したことを知っていてこんな話をしたのですから・・。

 それまで、天川氏の天文学的な情報量に圧倒されつつも、その情報をいかに入手したかについての氏の説明や、天川氏の国際情勢分析の信頼性に一抹の疑義の念を抱いていた私は、この時、氏の情報の入手先が紛れもなく米国政府、恐らくはCIA、であることと、氏の国際情勢分析が米国政府の国際情勢分析、恐らくはCIAによるそれ、を踏まえたものであることを確信したのです。

 軍事情報の入手方法について、天川氏は次のような、耳を疑う説明をしばしばしました。
 すなわち、天川氏は米軍の将官扱いになっており、天川氏の自宅には秘話装置付きの米軍の電話が設置されており、その電話でワシントンの米国防省はもとより、世界中の米軍部隊の司令官等と自由に話をして情報をとることができるし、天川氏が希望すれば、在日米軍がただちに専用機をしたてて世界中のどこにでも連れて行ってくれるというのです。
 これについても本当のことに違いない、とやはりこの時確信するに至りました。

 (3)その後

 それ以降、私は、この勉強会で天川氏が話した内容を私だけのものにしてはならないと思い、内容をメモにして、当時在籍していた防衛庁防衛課(現在の防衛省防衛政策課)の上司に提出することにしました。
 ところが、数年たたないうちに、高齢の天川氏が体調を崩したため、この勉強会は中断してしまいます。
 そして更に数年経ったある日、私は新聞で天川氏の死亡記事を読み、びっくりして記事に記されていた住所に駆けつけます。
 それは天川氏の私邸であったと思います。。
 畳の部屋に棺桶と遺影が置かれ、その前に福田元首相が悄然と座っているのを目にした私は、しばし目を閉じて合掌した後、庭から部屋に上がることをせず、部屋の中にいたメンバーの一人に目で黙礼してその場を立ち去りました。

4 終わりに

 日本は戦後一貫して米国の保護国だったのですから、歴代の自民党政権は、米国の明示または黙示の指示を拒否することはありえなかったはずです。
 しかし、面従腹背の場合もありうるわけであり、米国としては、このような国際情勢であるからして日本にはこうして欲しいのだ、ということを財界のお歴々等にも直接伝える必要があったのでしょう。
 まさにその役割を担っていたのが天川氏だったのです。
 そしてそのおこぼれが当時の我々のところまで回ってきた、ということです。

 天川氏の死後、誰がその「後継」に指名されたのか、或いは誰も指名されていないのか・・少なくとも由記子さんが後継でないことだけは確かです・・私には分かりませんが、岸氏の流れを汲む福田氏、そして福田氏の後継の清和会系の自民党の政治家達に対し、米国歴代政権がとりわけ期待をかけ続けたであろうことは、天川氏と福田氏との密接な関係からして、想像に難くありません。

http://blog.ohtan.net/archives/50953970.html

『キャノン機関からの証言』 延禎(著) 番町書房

『葬られた夏』で諸永裕司氏がアメリカに渡ってインタビューした元キャノン機関所属の情報官延禎氏の著作(1973年出版)です。言うまでもなく延禎氏はキャノンと“身内”であり、そのことを念頭に置いて読まなければならないとは思いますが、とりあえず以下に下山事件関連部分の内容をご紹介します。巻頭の「この本に寄せて」という4ページにわたる比較的長い推薦文は、キャノンが書いています。

 この文献は下山事件に割り当てられた紙面はそれほど多くありませんし(326ページ中13ページ)、書いてあることは基本的に諸永氏の著書で述べているように「著者自身もキャノンも下山事件のことはよく知らないし、少なくともキャノン機関(Z機関)は関与していないだろう」、ということです。松川事件や下山事件について延氏に根掘り葉掘り質問され、うんざり答えるキャノンの様子などが書かれています。(「なんだか、鉄道のことでみんながギャアギャアいってるらしいが、鉄道とオレとがどうしたっていうんだ」「そんなこと……みんなと同じようにオレも何も知らないんだよ」「なぜ、なんでもかんでも、Z機関に結びつけようとするんだ」「知らないものは知らないんだよ」)

 ですが、『葬られた夏』には書かれていない事柄にもいくつか触れています。例えばアメリカ帰国後のキャノンについてなどです。キャノンは帰国後拘留され、下山事件や松川事件にキャノン機関が係わっていたのかどうか取調べを56日間に渡って受けたそうです(鹿地事件で日本とアメリカは国際的なやりとりにまで発展していたことから、本国でのキャノンに対する追求はかなり厳しかったようです)。しかしこの徹底的な取調べも結局はキャノンの身の潔白を証明することになり、釈放後彼は軍関係の職に就いています。アメリカ本国でのしつこく容赦のない調査を経てもなお下山・松川事件への関与の可能性が見出されなかったことから、延氏は「オレは何も知らなかった」というキャノンの言葉は真実であろうと述べています。そして、下山事件がもし他殺であるなら、当然数人から多人数による共同犯行になるはずだが、現在までどこからも確実な証人が現れないところを見ると、情報官である著者の感覚からすれば自殺の可能性が高いと述べています。

 上記の事柄以外に下山事件関連について書かれている部分を簡単にまとめると、
・キャノン機関はJSOB(総合特殊作戦本部)所属であり、CICの所属ではないこと
・CICは積極的な諜報活動をするよりは敵の諜報活動を摘発したり、その活動を妨害することが任務であり、下山・松川事件のような大事件を起こすとは考えにくいこと
・キャノン機関の目的は謀略というよりもむしろ、情報収集とスパイ養成であり、下山・松川事件は管轄外であること
・ウィロビーも下山・松川事件の陰謀については何も知らない様子であること
などです。

 下山事件とは関係のない章ですが、1970年に渡米した延氏にウィロビーは、「日本ではキャノン機関はよほど大きい組織のように思われているらしいが、おかしなことだ」と述べています(p90-91)。

 『葬られた夏』で問題となっていた延禎氏の来日時期ですが(五月か六月に日本で下山氏に会ったという証言を撤回して、事件後の九月に来日したと諸永氏の著作では述べています。文庫版p111)、この本では「残念ながら私が”Z機関”ことキャノン機関の幹部として入ったのは、これらの事件(※下山・松川両事件のこと)が起こった四、五ヵ月後のこと、一九四九年末である」と書かれています(p311)。来日と同時にキャノン機関に所属したのかはこの本からは分かりません(『葬られた夏』によると同時のようですが。文庫版p100)。読み落としている可能性がありますが、来日時期は明記されていないように思います。見つけ次第加筆します。

 下山事件とは直接関係はありませんが、諸永氏もインタビューしているビクター松井氏について面白いことが書かれていました。松本政喜という人の著書(おそらく『そこにCIAがいる』という文献だと思われます。管理者は読んだことはありません。)によると、ビクター松井がキャノンへのうっぷんから、帝銀事件も松川事件もキャノンの仕業だという極秘情報を松本氏に語ったのだそうです。延氏は松本氏の著作の信憑性には否定的です。


http://shimoyamajiken.blog17.fc2.com/blog-entry-45.html

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