田平天主堂
田平天主堂 長崎県平戸市田平町
えー、一昨年は天草から外海(そとめ)をまわったのですが、今回は平戸の教会とオランダ商館跡などを駆け足で巡ってきました。
外海というとフランス人神父のド・ロ様が有名。
そのド・ロ神父は外海地区の生活改善に私材をなげうって取り組んだのですが、田畑を子供に分けると、いよいよ狭くなって生活が成り立たなくなるということで、なんと遠くこの地区に土地を購入して、信者たちを移住させるという計画を立てたそうです。
もちろん購入費用はポケットマネー。
実家は大金持ちだったそうですが、それにしてもスゴイ話ですよね。
二百数十年間、隠れキリシタンとして信仰を守ってきたということのインパクトだったのかもしれません。
とにかく、1886年(明治19年)から1893年(26年)までの3回にわたって信者の家族を移住させた、と。
田平天主堂周辺地区の農地は、こうした信者たちの手によって開墾されたそうです。
さらに黒島や五島からも信者がやってきて、1905年(明治38)年に現在の田平天主堂の建設準備が始まった、と。
1905年といえば5月に日本海大海戦があり、9月にはポーツマス条約が締結されて日露戦争が集結した年ですね。
設計はもうおなじみの日本人の棟梁建築家鉄川与助。
着工は1915年(大正4年)。
1917年(大正6年)年に竣工。
いまや国の重要文化財に指定され、世界遺産への登録も狙っている教会群の中でも傑作といわれるロマネスク様式の天主堂です。
天主堂の周りはカトリック信者が眠る墓地が取り囲んでいます。
この墓地ですが、ほんどのお墓に新しい花がそなえられていました。
なんかの記念日なのか…と思ったのですが、どうもそうではないらしい。
帰って、いろいろな写真をみたんですが、どんな写真でも美しい花で飾られています。
となると信者の方々の努力なのでしょうか?
素晴らしい。
墓地からは明るい色の海が見えます。
こんな素晴らしい墓地もないかもしれませんね。
同時に田平天主堂は海からの姿も一度、見てみたいと思いました。
ということで内部入ると、真っ白な柱がアーチを描いて伸びているのが印象的。
木造のリブ・ヴオールト天井は通称「こうもり天井」とも呼ばれていますね。
円形アーチを支える椿の花の意匠に日本人棟梁らしさを感じます。
教会の壁にはステンドグラスがはめ込まれていますが、内容は十字架の道行きで、イエスの受難を黙想する行に使われるんでしょうね。
教会近くには建設に使用されたレンガ用の貝焼場も残されています。
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