« ウズベキスタン戦勝利を日本で一番ホッとして見ていたのはY主審じゃなかったかな | Main | 六法のランチ握り »

June 10, 2009

『街道をゆく11 肥前の諸街道』

Kaido_o_yuku_11

『街道をゆく11 肥前の諸街道』司馬遼太郎、朝日文庫


 こんど、平戸方面への旅行を計画しているので、その予行演習ということで『街道をゆく11 肥前の諸街道』を読みしました。

 平戸へは佐世保から行こうかと思っていましたが、司馬さんのように唐津から元寇防塁を見ながら唐津街道を通って、伊万里港、松浦、平戸というルートをとろうかな、と思いました。

 この本でもいろいろ勉強させられます。

 フビライは全国各地に「平準庫」という銀行を置き、いつ紙幣を持ってこられても兌換するという体制をつくって流動性を高めたのですが、同時に常に銀を準備しておくことに苦労したとか(フビライが滅ぼした金も銀の準備が困難となり悪性インフレで自壊したといいます、p.21-)、古代朝鮮にあった加羅という国などにつかわれる「羅」は「国」という言葉を指していた可能性があり、そうなると魏志や古事記に出てくる末羅から「松浦」はきているんじゃないかとか(平戸も『和名抄』では庇羅と表記されている、p.37)、松浦圏の人々は元寇の時に虐殺と掠奪に遭ったから和冦には報復の意識もあったのではないかとか(p.43)。

 あと、オランダ船のリーフデ号と英国人の雇われ船長ウィリアム・アダムスの話は、何回、読んでもスゴイですね。リーフデ号は1600年に日本へ漂着したのですが、元は5隻の艦隊で1598年6月27日に出発した、と。ところがマゼラン海峡に達したのは99年4月であり、その時点で艦隊の提督を含む多くの乗員が病死しており、4ヵ月以上も停泊しなければならなかった、と。南太平洋に出たのは8月の終わりだったんですが、たちまち大暴風雨に遭って艦隊はチリジリになり、スペインやポルガル領で捕虜になったり殺されたりして2隻しかチリに到達できなかった、と。その時点で目標を日本と決めたが、1隻は行方不明となり、残ったリーフデ号のみが臼杵海岸あたりに到達したが、オランダを出るときの110名の乗組員は24人となり、うち、歩けるのは6人のみだった、と(到着後、さらに6人が死亡)。

 アダムスは秀頼の後見人ということで大阪城にいた家康と面談することになるのですが、家康は関ヶ原の数ヶ月前だというのに、航海の労苦をいたわったといいます。司馬さんは、「日本人は座して西洋文明を迎えるのだが、西洋側がこれだけ大きな犠牲を払ったことは、アジアと西洋ということを考えあわせて、多少の感慨をもたざるをえない」「(家康が)万里の波濤を乗り越えてきたという人間たちに対し、そのことにおいて労りと尊敬をもつというのは、労働や冒険にきわめて鈍感になっているアジアの他の儒教国や仏教国の貴族、大官においては期待しがたいことであった」(p.121-)というのは、なるほどな、と(ウィリアム航海については『さむらいウィリアム』ミルトン、原書房、2005も話題になりましたね)。

 さて、当時の平戸の支配者である松浦道可も初代平戸藩主となる鎮信もキリシタンには入信しなかったので、やがてポルトガル人は平戸を去ります。しかし、ポルトガル商船隊によってもたらされた殷賑は江戸末期まで話題となり、わずか六万三千石の平戸藩松浦家は、九州諸藩に手土産をせがまれ、それで疲弊したというんですから、すごいもんですな(p.133)。

 平戸を去ったポルトガル人を呼んだのは肥前の大名である大村純忠。純忠は洗礼を受け、やがては長崎もイエズス会に寄進するまでになります。もっとも長崎を寄進したのは、長崎を奪いにくる深掘、西郷、竜造氏に手を焼き「いっそ教会領に寄進してしまえばポルトガル人が守ってくれるかもしれない」と思ったか、あるいはボルトガルに借りていた戦費が返せなくなったので、そのカタとして献上したともいわれているそうです。

 この考え方はポルトガルのヘンリー航海王に似ています。ヘンリー航海王はキリスト教騎士団の団長を兼ねていて、彼の船が発見した島々は騎士団の領地にすることで、背後にいるローマ教皇を憚ってスペインなどが手出しできないようにしていた、というんですわ(p.197-)。なるほどな、と。

|

« ウズベキスタン戦勝利を日本で一番ホッとして見ていたのはY主審じゃなかったかな | Main | 六法のランチ握り »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/45302173

Listed below are links to weblogs that reference 『街道をゆく11 肥前の諸街道』:

« ウズベキスタン戦勝利を日本で一番ホッとして見ていたのはY主審じゃなかったかな | Main | 六法のランチ握り »