四月大歌舞伎「伽羅先代萩」
「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)ですが、玉三郎さんの政岡をこの歌舞伎座で見るのは最後かもしれないと思い、心して見物してきました。
このお芝居、女子供だけの幕と男だけの幕がほぼ交互に配置されています。で、男だけの幕は正直、つまりません。だからそこら辺を全取っ替えしたような「裏表伽羅先代萩」みたいな作品もあるほど。ですから、改めてぼくが言う必要のないほど「伽羅先代萩」は立女方役の極北ともいえる乳人(めのと)政岡の芝居、ということになります。
見物したのは西の桟敷の4番2でした。ここからは、花道の芝居は裏からみるような按配になります。本当は東からの方がいいんですが、でも、これまで見えなかったものが見られてよかった。
玉三郎さんが裲襠(うちかけ)を引きながら花道を舞台に歩くのをずっと間近で見ていると、裲襠の裾が、まるで生き物のようにリズミカルに脈打つんですね。その後、仁左衛門さん、福助さん、大好きな孝太郎さんの三役が同じように裲襠を引きながら花道を進むんですが、まるで違う。
あと、その三人(八汐、沖の井、松島)が鶴千代に向かってお辞儀をする場面があるのですが、この三人の後ろから、玉三郎さんを見る格好になって、舞台写真でそういうのがあれば欲しいな、と思いました。
芝居のヤマは、我が子、千松が毒入りの菓子を口にして殺された後、有名な「出かしゃった」と千松を褒める場面。
この「出かしゃった」に関しては、正直、これまで誰の芝居でも共感できなかったんですが、この日は、なんかスッとわかったような気にさせられました。
♪跡には一人政岡が奥口窺ひて♪という浄瑠璃の後、千松の亡骸に寄り添って「コレ千松、よう死んでくれた、出かしやった」ではじまる長いクドキが、長く感じられない。
正岡といえば歌右衛門さんの芝居で覚えていったものですが、歌右衛門さんはこのクドキの後半、「三千世界に子を持った…」では踊るような仕草を入れていました。でも、この場面、玉三郎さんはふっと笑だけだったかな…。歌右衛門さんの笑い+両手かざしのあて振りをシンプルにしたのかな、みたいな。
政岡は忠義の化け物みたいなんですが、身分はそう高くはない。また、幼い千松の母親であることを考えるとリアリズムでいけば二十代の役柄なのかもしれません。だからまだ若さの残っている玉三郎さんが演じると、二十代の若い母親が、忠義の概念と実子の死という重圧に押しつぶされて、思わず意味不明の笑いを浮かべる、でも出る言葉は「出かしゃった」というのが、腑に落ちた、みたいな。
有名な飯炊き(ままたき)も、長くは感じられませんでしたし(昨年11月の菊之助さんは新橋演舞場だからということか飯炊きを省略していましたが)、歌右衛門さんの「ちょっと懲りすぎ」みたいな長い芝居を、いろんなところで少し短くしていってるのかな、という印象でした。
2013年には還暦を過ぎてしまう玉三郎さんだけに、もしかしたら娘道成寺を踊らなくなるかもしれないと思うので、次に道成寺がかかった時は、万難を排して見物に出かけたいと思います。
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