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March 25, 2009

『歴史としての現代日本』

Iokibe

『歴史としての現代日本 五百旗頭真書評集成』五百旗頭真、千倉書房

 いやー、いい本読んじゃったなぁ…。

 五百旗頭真(いおきべ・まこと)先生は神戸大学名誉教授で小泉首相の要請で06年から防衛大学校校長をつとめています。

 ずっと前から五百旗頭先生のような方が防衛大学校校長をつとめていらしたら、去年解任された某空幕僚長のようなヒトも出さずにすんだのかもしれませんが、まあ、仕方ありません。

 この本は毎日新聞の書評委員としてとりあげた200冊の本のうちから、冷戦終結後の世界と日本を扱った書評を集めたもの。

 実は五百旗頭先生、左右両陣営から批判を受けているそうです。

 そんなことを考えると、メディア論を扱った『メディアと政治』に関する書評で書かれていた、こんな意味合いの言葉も、ご自身のことを語っているのかな、なんて思います。

 《本書は、メディアが意外にイデオロギー的に中立的であること(だからこそ保守政治家はマスコミが左翼偏向だと不満をもち、反体制派はマスコミが権力の召使いと感じる)、そして多様な集団と関与連絡する包括性を持つことを示す》

 ぼくは五百旗頭先生の立ち位置は非常にフェアなものだと思っています。

 各章の扉には、短い文章が添えられているのですが、それが全部いいといいますか、偏ってない。

 第一章「歴史の中の日本」では明治維新以降の日本の歩みを《トータルに見れば、自己認識を乱しがちなミドルパワーであった》とし、第三章「変わりゆく戦後日本」では《戦後日本が戦争そのものを否定し、絶対平和主義を志向したのに対し、欧米ではユダヤ人大虐殺の悪を放任した責任を問い、正義のために戦う志向性が強い》と鮮やかに色分けし、第四章「アメリカという例外国家」では日本に対して米国は武力行使をもって開国を迫ったペリーの顔と、友人を演じたハリスの顔をもって接したが《どちらの顔をもって自己表現するにせよ、米国は自らを歴史の神もしくは普遍的価値の、この世における執行者をもって任じているのではないか》と表現し、第六章「世界認識のフロンティア」では、冷戦終結をもって経済力のピークを示した後に長い下り坂を下りている日本は英国に学ぶべきであるとして、その理由を《歴史上の大国の中で、英国は自らの力の限界を絶えず意識できたほとんど唯一の国であろう。近年、日本の研究者にイギリス外交を愛する人が湧き出ている。ロイヤル・ネイヴィーと英外交研究のルネッサンスを喜びたい》としています。

 いやー、良い書評というのは、扱った本の冊数の情報が一気に得られるから嬉しいです。しかも、学術書ではないから思い切ったことを書いてくれますから分かりやすい。

 鳴り物入りで伊藤博文がつくった憲法制度は施行とともに機能不全に陥り、それを救ったはの日清戦争だとか(p.8)、米国にとってのシベリア出兵はチェコ軍救出という目的に限定され深入りすることは予定されなかったとか(p.17)、日中戦争前の日本は声望を失っていたが今も米中両国との良い関係をつくることが課題である一方、当時と同じように対中対決姿勢を求める自己破滅的な声が存在するとか(p.25)、第二次大戦で日本が破滅したのは、動乱期の中国に対する認識を誤ったからとか(p.26)、朝鮮戦争以前の社会党は常識的な穏健なグループであり、総同盟も含めて生産復興を重視して生活防衛を図るアプローチを堅持していたとか(p.48)、吉田茂は無分別な旧軍をマッカーサーという支配者を利用して切開除去し、親英米を本流とする皇国日本を再建することを戦略にして、戦後政治の担い手として高級官僚に味方を見出したとか(p.71)、日独機関車論という国際的要請によって予算・歳入・金融を一元掌握する大蔵省が政治に伏して財政赤字を可能にしたとか(p.109)、もうやめますが本当に面白い。

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