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February 28, 2009

ハイデガー『ニーチェ』#17

 真理とは《真なりと思うこと》とニーチェが考えているとすれば、真理は最高価値ではないが、必然的価値となり、位階は引き下げられる、とハイデガーは整理します(下巻、p.181)。

 上巻では真理と芸術の対比が語られていましたが、芸術は生成するものであり、ニーチェが真の世界とは生成するものだとするならば、こうした混沌を固定するような仮象世界を想定するプラトン主義の逆転が成就されたわけです。

 さらにニーチェは《真理とは、それなしには或る特定の種類の静物が生きることができないような一種の誤謬である》と『力への意志』493番で述べていますが、これに関してハイデガーは真理を一種の誤謬と受けとるのは単純であり、ギリシア語のπαραδοξον(パラドクス)と考えればいいのではないか、と考えます。真理は本質において調和であるとすれば、持続的存在としての真理はひとつの誤謬となりうるのであり、現実的なものへの合致、調和、ομοιωσιsとして規定されてきた、と説明します。ομοιωσιsは細谷訳では、そのまま翻訳もされませんが意味は「似る」あたりですかね*1。

 この後、ヘラクレイトスの形而上学にニーチェが影響を受け、ギリシア的な正義-δικη-という思想がニーチェに点火した、とハイデガーは書いています(下巻、p.200)。細谷先生の訳ではあっさりと「ギリシア的な正義-δικη-」と書かれていますが、δικηには習慣あるいは刑罰を司る女神という意味も含まれていることを知ると、余計に味わい深いテキストになるかもしれません。

 そしてハイデガーは、ニーチェにとって正義という言葉には法的意義も道徳的意義も持っておらず、ομοιωσιs(似る)の本質を引き受け成就すべきもの、同化という意味になる、と展開していきます(下巻、p.205)。

*1
新約聖書ではヤコブの手紙3:9の《神によって似せて造られた人々を呪う》というところで使われています。ちなみに旧約のギリシア語訳である70人訳でも、同じ単語が使われています。

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