悲しかった五輪代表
悲しかったな…。
ただ、それだけ。
まあ、23歳以下という年代での強化が、どれほど重要なのかという問題は置いといても、悲しかった。
96年アトランタでようやく世界の舞台に復帰して、98年フランス大会からは年代別も含めたほとんどの世界大会に出場してきたけど、まだまだサッカー大国とは、大きな実力差があることを痛感されられました。ただ、ナイジェリア戦を見ても、96年の時と比べれば(今回、やや流していた感はあったものの)、少しは距離を縮められたかなとは思いますが、強豪国相手にしっかりと引き分けに持ち込んで勝ち点1を獲る(相手からすれば勝ち点2を失う)というところまでは、まだ詰めなければならない課題はたくさんあるな、と。
また、緒戦のアメリカ戦のようにやや格上を含めてサッカー中堅国相手に引き分け以上、できれば勝ちきるというところまでいくのも、あと一歩だと思います。
内田、安田のサイドバックのクロスは一時よりはよくなったけど、逆足では可能性のないボールしか蹴ることができないな、という印象。だから縦を切られるようになると、とたんに攻撃の迫力なくなる、みたいな。
どっちかのサイドバックが上がりまくる攻撃的なサッカーを仕掛けていたとは思いますが、ヘディングで競り勝てるFWが豊田と李だけで、しかも基本的に1トップというのでは、いくらチャンスつくっても跳ね返されて、そこから薄いサイドに逆襲くらうだけ、というパターンも多すぎたように感じます。
ただ、今日の日経でカズも書いていますが、代理人が契約したくなるような選手は本当に少なかった。個人的には、ひいき目で見て内田ぐらいじゃないでしょうか。特に可能性が感じられなかった。
純粋に選手だけの比較でいえば、シドニー>>>>>超えられない壁>>>>>アトランタ>>北京>>アテネという感じでしょうか。
それと、やっぱり、言いたいことは書かないと不愉快になるので、書きます。サッカー好きの人間なら、みんな書いていることでしょうが。
舛添厚労大臣はふがいない男子柔道陣に対して「おれにやらせろ」と発言したらしいですが、反町監督に関しても、サッカーファンなら「監督をオレにやらせてくれ」と何回も思ったんじゃないでしょうか。
全ての試合に先制点を許し、基本的に後半からは追っかける展開なのに、ボランチをボランチに入替えたり、何をやりたいのかわかりません。
2戦目は負けたらお終いだったし、3戦目も負けてモトモトなのに、大量失点でも恐れていたんでしょうか?
選手のピックアップもその時に調子のいい選手を選びました、という以上のものを感じられませんでした。
純粋に監督だけの比較でいえば、シドニー>アトランタ>>>>>超えられない壁>>>>>アテネ>北京という感じでしょうか。
あまりスポーツ新聞の小さな記事に反応したくはありませんが、最終戦のオランダ戦で選手に造反されたとか聞いても「さもありなん」としか思えません。しかも、最後は選手に号泣して謝罪とか書かれている。語るに落ちるという言葉を久々に思い出しました。
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