ハイデガー『ニーチェ』#9
次にハイデガーが吟味するのは『国家』597B。
τριτται τινεs κλιναι αυται γιγνονται
ハイデガーは《或る意味で、第一の、第二の、そして第三の寝台が出てきた》と訳さざるを得ないと書いていますが、直訳すれば「いわば三つの椅子(ギリシア時代は寝椅子)があることを認識することになる」。γιγνονται(認識する、知るなどの意)はγινωσκωの古形ですね。ぼくのギリシア語は比較的新しいコイネーから入っているので、あまり馴染みのない動詞です。
次なのですが、さらに重要。
μια μεν η εν τη φυσει ουσα
「ひとつは自然の中に存在しているもの」というのが直訳ですが、藤沢先生などは「一つは本性(実在)界にある寝椅子であり」と訳しています。藤沢先生が「本性(実在)界」と訳している単語はφυσιs(フュシス)。もう、意味は単刀直入に「自然」なんですが、藤沢先生がそれを「本性(実在)界」と訳して、しかも「すなわち、イデアの世界」と註しちゃうところがプラトニズムの恐ろしさというか根深さを感じます。
木田先生の受け売りですが、ここの問題点をハイデガーは突くわけです。
ハイデガーはこう書きます。
φυσιsとは、まだプラトンにとっても、ましてやとりわけギリシア哲学の最初の始原においては、ちょうど薔薇の花が咲き出して、内から開けつつ立ち現れるように、おのずから立ち現れること(Aufgehen)を意味している、けれども、われわれが《自然》とよぶもの-山水の風景や外なる自然-は本質的な意味での自然-すなわち、おのずから開かれてくる実在するものをあらわすφυσιs-の特定の分野にすぎない。φυσιsとは初期ギリシア人が、おのずから立ち現れて行きわたっている実在性という意味での存在を言い表した根本の言葉なのである。
この後、《ου τη αληθεια(真理の内に存在するもの)》という言い方についての吟味に続くのですが、この言葉については#7にも書きましたが「隠されていない」ことが重要なんだという議論になっていきます。
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