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August 18, 2008

ハイデガー『ニーチェ』#15

 「プラトンの《国家》」の章の後は「プラトンの《パイドロス論》」が続きます。平凡社ライブラリー版では上巻のp.258から。

 逆転したプラトニズムであるニーチェの哲学にとって、芸術は真理よりも価値が高くなければなりません。一方、プラトンにとって真理は芸術よりも高いというのが命題になっています。しかし、これまでの精緻な読解によって《離間はなく、ただ格差があるだけ》ということが明らかになったわけです。

 しかし、ハイデガーの講義が面白いのは、次のように強引に問題設定を行い、議論を展開させていくからです。

 真理と芸術の関係が位階上逆転し、そしてこの関係がニーチェにとって離間であるのだとすると、そこから引き出される当然の帰結は、その関係はプラトンにとってもやはりひとつの離間であり、ただしニーチェの場合とは逆の離間であるはずだ、ということである。

 ハイデガーはニーチェとプラトンの関係を《一、根本においては調和でありうるような分裂 二、離間とならざるをえないような分裂(引き裂かれた状態)》という両義的な眼差しの中でみていきます。

 そしてプラトン『国家』のように芸術が真理の側から測って第三位の位階におかれている限り離間はないが、それでもやはり《哲学と詩(創作)との間には昔から仲違いがあった》(607B、藤沢訳)とは書いており、藤沢先生が仲違いと訳しておられる原語διαφοραも「違い」という意味ですから。

 ということで、ハイデガーはプラトンが真理を論じる観点と同一の観点で分裂の成立条件を探ります。

 ギリシア哲学一般に体系は見当たらないものの《プラトンの思索の進め方には、一貫した基調がある。すべては、存在者とは何か、という哲学の先導的問題へ集中しているのである》ということで、ハイデガーが次にとりあげるテキストは『パイドロス』となります。

 『パイドロス』には「美について」という副題が掲げられていますが、内容はご存知の方はご存知でしょうが、ソクラテスとパイドロスが"少年"をいかに口説いて自分に身をまかせるようにさせるかについて論じ合うというもの。いやー、なんといいますか、文化の相違の素晴らしさですねぇw

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