ハイデガー『ニーチェ』#14
プラトンにとって、μιμησιs(ミメーシス、模倣)は従属的地位にあります。特に画家などの仕事はιδεα(イデア)がειδοs(エイドス)に移される際の第三の生産となるわけです。
この後、ハイデガーは短く『国家』をサマライズを行いますが、プラトンで問題なのは彼が『国家』598Bで芸術は真実から遠く離れたところにある、とまで断言することだ、と。
ハイデガーは、プラントが画家など芸術家のつくるものは何かについて、以下のように考えている、と精緻にまとめます。
それが制作するものはιδεα(φυτοs)としてのειδοsではなく、τουτο ειδωλοωである。これは純粋な観(エイドス)の映りにずきない。ειδωλοωは小さなειδοsの意味であるが、それは規模の上のみならず、顕現のありさまの乏しさも含意している
ちなみに、このειδωλοωは新約聖書では「偶像」みたいな意味で使われている単語ですが、ハイデガーの「顕現のありさまの乏しさも含意している」という表現は面白いな、と思います。
それはさておき、プラトンの形而上学にとっては、芸術は真理よりもはるか下位におかれているが、それは真理との間に離間があるという意味ではなく、格差があるということを確認して、「プラトンの《国家》」の章は終わります。
次のパイドロス論の章は、もう少しサクッといきたいと思います。
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