ハイデガー『ニーチェ』#12
βουλομενοs ειναι οντωs κλινηs ποιητηs ουσηs,αλλα μη κλινηs τινοs μηδε κλινοποιοs τιs μιαν φυσει αυτην εφυσεν.
『国家』597Dのここの部分を私訳で直訳しますと「神は寝椅子づくりの職人や個々の寝椅子の製作者になりたくはなく、本質的で唯一の本当の寝椅子の製作者になりたかったのだ」ということになります。
藤沢訳でも、細谷訳でも、ちょっと見えにくいところがありますので、短いですが、ギリシア語とともに、味わっていき、ハイデガーの議論についていけるようにしたいと思います。
βουλομενsは欲するという意味のβουλομαιの現在分詞。
κλινοποιοsは「寝椅子づくりの職人」と私訳した単語でκλινη(寝椅子)+ποιειν(つくる)の合成語。
μιαν φυσειは「本質的で唯一の」と私訳したところで、μιανは「唯一の」という意味でよく使われていて、ここもその意味ですが、φυσειは本来、ごく普通の自然という意味だった単語ですが、ここは「本質的」とでも訳さないと、なかなか意味が通らなくなっています。
#9で「φυσιsとは初期ギリシア人が、おのずから立ち現れて行きわたっている実在性という意味での存在を言い表した根本の言葉なのである」というハイデガーの言葉を引用しましたが、そういった意味からは、かなりかけ離れているように思います。
そしてハイデガーはこう論議を進めていきます。
《現在し現在させることとしての存在と、統合するものとしての一者とは、どのように相属しているのか。或る創造者への還元はこの問いに対する答えを内包していのか、それとも、存在が現在として考えることもなく、一者の統合が現在としての存在にてらして規定されることもないので、この問いは問われずにいるのか》と。
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