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July 27, 2008

ハイデガー『ニーチェ』#7

 ハイデガーは『国家』におけるプラントの認識論のシステムを、鏡像が存在者を招致することを含むものなのだ、というところまで噛み砕きます。

 その認識システムでは隠れないところにあるがままの、歪みない姿での存在者として招致するのではなく、ον φαινομενον(ファイノメノン、英語でいえばphenomenon、仮象)とου τη αληθεια(アレーテイア、隠されていない真実)は対立しているのですが、両者がともに関係代名詞ονで導かれているように現存するものであり、様相に違いがあるだけなのだ、と。p.245の最初の部分をこんな感じのことをハイデガーは言っているんじゃないか、と思います。

 ちなみにLiddell&Scott(大判)の辞書でφαινωはin Philosophy, φαινομαι is what appears to the sensesと説明されています。

 例えば家。

 家は鏡に映る場合には金属面に映って現われ出て現在し、石と材木の中で現われ出て現在している場合もある、と。

 次の文章はじっくり味わいたいと思います。申し訳ないのですが、勝手にアレンジします。

 ここでプラトンが苦心しているのは、違なるτροποs(仕方)をどう表現すべきかという点であり、同時になによりも、ον(現在するもの)がもっとも純粋に現われ出る様式、すなわち、それが或るほかのものを通して表現されるのでなく、それの実相(ειδοs)がとりもなおさず存在であるような様式をどう規定すべきかという点である。このような現出がιδεαとしてのειδοsなのである。

 関係代名詞のονが使われるていることを元に、ον φαινομενονもου τη αληθειαも「現在するもの」であるという論議の進め方はちょっとだけシビレました。

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