ハイデガー『ニーチェ』#6
例えば家具をつくる職人たちはイデアを見ながらつくる、とプラトンは主張するのですが、この考え方をさらにおし進めると、《製造することは、その観(容姿)そのものを、もうひとつのもの(製造されるもの)において示現させることを意味》し、さらには《製造されたものは、その中で観-存在-が出現(erscheinen)するかぎのでのみ存在する》のだ、というところまできます。
その上で、プラトンはどんなものでもすべて作り出せるような職人はいるか?と問いかけます。
いる、というのがプラトンの答え。
しかも、誰でも可能だというのですが、オチはあまり面白くありません。鏡があったら、それをぐるりとまわすだけでありとあらゆるものを作り出せるではないか、というのが『国家』における話の展開なんです。
ハイデガーはこうしたδημιουργοs(デーミウルゴス)は貴重な存在ではない、ということを再度、強調したあと、さらにτινι τροπω ποιει(どういうやり方でつくられるか)が重要なのだと話を展開します。
τροποsはLiddell&Scottの辞書ではturn, direction, courrse, wayであり、人に関する記述の中ではway of life, habit, customを表す言葉だということになっていますが、さすがハイデガーも細かく追求していきます。
このギリシア語は普通に《仕方》と訳されている。これは間違いではないが、十分ではない。τροποsとは、人がどう向いているか、どの方向に向き直るか、どこに留まっているか、何のために尽くしているのか、何に心をよせ関心を惹かれているのか、などを指す言葉である
さらに、こうした展開を考えるとποιειν(つくること)のギリシア語的意味は、「現に引き出す」あるいは「招致する」と考えると、プラトン流の「鏡をまわせばなんでもつくれる」という意味がハッキリします。
国家の中で語られていることは、鏡像は存在者を招致することなのだ、と。
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