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July 20, 2008

ハイデガー『ニーチェ』#4

 ハイデガーによるプラトン『国家』596aの解釈が素晴らしいんです。

 私訳で恐縮ですが「我々は同じ名前として現われる物をひとつにまとめて、一組ごとにそれぞれエイドス=実相を立てることにしている」というテキストで重要なのは《存在は容姿の目撃によって認知され》《定立され、すなわち見立てられ、注視にさらされ表象されるのは、イデアだけではなく、それよりも前に、それらの統一的容姿の一体性に関係づけられものとしての多用な個物なのである》というんですね。

 通常、プラトンのこのテキストは、ハイデガーも語っているように《多数ある個物(たとえば個々の家)について(家という)イデアが定立されるという趣旨に受けとられがち》です。しかし、逆だ、というんですね。

 さらにハイデガーは続けます。

 人間が存在に関わるのは言語を通してである、と。言語には、この家、この机、この寝台へ向かう視向と、その容姿にてらして家と呼ばれるという方向に向かう二つの視向が交叉している、と。プラトンのμεθοδοs(方法、メソドス=英語でいえばmethod)はこう解釈して読まなければならない、と。逆に言えば、多くの個物は、その容姿そのものの視圏の内で多くの個物として現われ出るということがプラトンの発見なんだ、と。

 これを踏まえてプラトンが芸術とはμιμησιs(模倣、ミメーシス)であると語った内容を吟味していかなければならない、ということを言っているのが[プラトンの《国家》 芸術(ミメーシス)の真理(イデア)からの距離]についての3頁目です。

 さて、次のテキスト解釈の展開は『国家』596bについて。

πολλαι που εισι κλιναι και τραπεξαι

 寝台(κλινη)や食卓(τραπεξα)はどこにでも多く存在している、と。しかし、寝台や食卓のイデアはひとつずつしかかない、と。それは、《寝台がいかに転化しても存在し、その存立を保持している》とプラトンが考えた一つのモノなのですが、そう考えると、存在には恒常性が属している、と。そうなるとプラトニズムの立場では、存在はいつも生成に対する排他的対立関係におかれている、と。しかも、同時にそれはπερι τα πολλα(多くのものにあてはまる)ものでなければならない。

 ハイデガーはさらに切り込んでいきます。

 家具というのは、δημοs(デーモス、民衆)のために作られ、これらの家具を製作する者はδημιουργοs(デーミウルゴス、民衆のために仕事をする職人)と呼ばれる、と。

 プラトンの展開とは関係なくなりますが、閑話休題。新約聖書の中でδημιουργοs(デーミウルゴス)という単語はヘブライ人への手紙11:10で「神である創造者」というところでしか使われていませんが(原文のδημιουργοs  ο θεοsは英語に直訳するとMaker the God)、グノーシスの人々はこの言葉にインスパイアされ、創造神と至高神の分離みたいな考え方をしていきます。ま、あまり関係ないですが、グノーシスの方々もちゃんとプラトンとか読んでいたんだと思います。

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