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July 16, 2008

ハイデガー『ニーチェ』#2

 今回はちょっとといいますか、かなり飛んでp.243-258の[プラトンの《国家》 芸術(ミメーシス)の真理(イデア)からの距離]について。

 μιμησιs(ミメーシス)という言葉をご存じの方も多いと思います。Liddell&Scottでも簡潔にimitationと訳されていますね。ちなみに新約聖書では1コリ4:16にμιμηται(見習う者、複数形)というあたりなんかで使われていますね。

 ハイデガーは《芸術をμιμησιsとする解釈のそこには、ギリシア的真理概念が潜んでいる》(p.234)としてプラトン『国家』でソクラテスに語らせている芸術論を吟味していきます。

 この議論は全十巻の『国家』でも最後の十巻(595-)に収められています。ソクラテスはグラウコンに「真似(描写、μιμησιs)とは、実際のところ,そもそも何であるか」と問いかけるのですが、二人は論議をεπισκοπουντεs(注意深く)始めるとハイデガーは書いています。

 《επισκοπουντεsとは「μιμησιsという言葉で呼ばれた事柄そのものを見詰めながら」ということであり、その仕方はεχ τηs ειωθυιοs μεθοδου(いつものようにこの事柄のあとを追いかける途上で-というのはμεθοδοs(方法)というギリシア語はこういう意味なのである)-と記されている》。そして《いつもの進め方とは、存在者そのものを問い求めるプラトンの流儀のことである》と(p.235)。

まだ1頁もいってないですが、明日に続く、ということで…

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