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July 11, 2008

ハイデガー『ニーチェ』#1

Nietzsche_heidegger1

『ニーチェ 美と永遠回帰』マルティン・ハイデガー、細谷貞雄、輪田稔、杉田泰一(訳) 、平凡社ライブラリー

 しばらく、ハイデガーの『ニーチェ 美と永遠回帰』を読んでいこうと思います。テキストは平凡社ライブラリーに入っている細谷貞雄訳。章といいますか、小見出しが沢山ついていますので、頁数は基本的に省略します。

 この本は木田元先生曰く優秀な哲学史家ハイデガーがニーチェの『権力と意志』を通して、西洋哲学の存在論の問題点を明らかにする、というものだと思います。

 書き下ろしの著作と違って、これは講義録を中心にした本ですから、微に入り細に入り、説明してくれていますので、途中で何を言っているんだかわからなくなる、というような状態にはならないと思います。それでも「序言」でハイデガーは《書いて印刷されたものを見ると、口頭論述ほどに意をつくせないのが心残りである》と書いています。やはり学問というのは本を読んだだけでなく、書いた本人から内容をかみ砕いて伝えてもらい、さらに最もキモとなるものを指し示してもらわなければ難しいのかもしれません。

 ではさっそく。

[1 芸術としての力への意志]

[形而上学的思索者としてのニーチェ]

 『力への意志』はニーチェの未完の哲学的主著の題名ですが、ハイデガーは《あらゆる存在者の根本性格を表わす名前としてみれば、《力への意志》という言葉は、存在者とはそもそも何であるかという問いに、ひとつの答を与えるものである》と考え、講義の課題を《ニーチェが西洋的思惟の導きの問いを、いかなる根本的境涯から展開し解答したか-その根本的境涯を明瞭にすることである》としています。

 そしてニーチェは詩人哲学者であるとみられているが「生の哲学者」とみなすべきであるとして、「抽象的思惟は-多くの人々には大変な苦労であるが-私にとっては、好日には祝祭であり陶酔である」という言葉を引きます。

 ハイデガーは《抽象的思惟が祝祭だというのか、現存在の最高形態だというのか。本当にそうなのである》とした上で《キリスト教の中には決して思惟の祝祭がない。すなわちキリスト教的な哲学というものは決して存在しないのである》と付け加えます。

[《力への意志》という書物]

 プロテスタントの牧師の子として生まれたニーチェがショーペンハウアーとヴァーグナーと出会い、わずか25歳で学位取得前に古典文献学の員外教授としてバーゼルに招かれ、10年後の1879年に教授の地位を追われ、82年から85年にかけての《ツァラトゥストラ》の嵐に襲われ、いよいよ『力への意志』に取りかかろうとしたものの、『ニーチェ対ヴァーグナー』『偶像の黄昏』『この人をみよ』『反キリスト者』などの短い著作をまとめるだめに終わり、89年に発狂するという生涯が淡々と語られます。

 ハイデガーは『力への意志』からの引用をすべて断片の番号で行いますが、ニーチェのアフォリズムには、ほかの人々が一巻の書をもっても言えない事柄を告げているとしています。

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