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May 08, 2008

『反哲学入門』木田元、新潮社

Anti_philosophy

『反哲学入門』木田元、新潮社

 新潮社は吉本隆明さんの時もそうでしたが、一度、死にかけたような大病から復帰した知識人に「いっそのこと、もうぶっちゃけてイロイロ話してください。それをまとめますから」的な本を出させるのが上手いと思います。この本も『反哲学史』講談社学術文庫をネタ本に、面白い話、裏話を満載して、ソクラテス以前以後の西洋哲学史と木田先生流にいうならば、ニーチェ以降の反哲学史を、まるで講談のように語りまくってくれます。

 この本を読んでみようと思ったのはNHKで爆笑問題がやっている『ニッポンの教養』をたまたまつけたテレビで見たからなんです。

 まるで鶴みたいな風情になった木田先生が、爆笑問題の二人相手に説得するでもなく、力むでもなく、聞かれるままに答えている姿が印象的でした。「お祖父さんになると、これぐらい優しく話せるんだな」と思って、将来はこんなしゃべり方ができたら愛されるお年寄りになれるんじゃないかなんて思いましたが、最後には「これからの時代は大変なんですよ、どうしたらいいんでしょうか」というという問いかけに「皆さんお気の毒に」でジ・エンド。素晴らしい構成でした。ということで、さっそく、話題になっていた『反哲学入門』を注文して読んでみた、と。

 ご存じの方はご存じですけど、チラッと概略を。

 木田先生の哲学史のモチーフというのは、ソクラテス以前の思想家たちの多くは「自然(フュシス)について」という同じ題名で本を書き、万物流転の自然感といいますか、ぼくたち日本人が持っているようなごく普通の感覚を持っていた、と。これをまったく変えてしまったのはプラトン。ソクラテスの刑死後、世界漫遊の旅に出たと伝えられるプラトンは北アフリカのキュレネやエジプトでユダヤ系の世界創造神話にふれ、《生成消滅をまぬがれた超自然的原理であるイデアを想定し》、自然というか世界は、そうしたイデア(アリストテレスならば純粋形相)から「つくられたもの」であると180度ひっくり返してしまった、と。それはキリスト教的な一神教を準備するものでもあり、以降、西洋哲学は全て、世界はこの超越的な存在から「つくられた」という発想から展開された、と。

 後の展開は読んでからのお楽しみということで詳しくは書きませんが、なんていいましょうかね、大学の研究室あたりでお茶を飲みながら話してくれるような、ぶっちゃけた話をどんどん披露してくれる、という感じです。吉本さんも大学や大学院で学ぶことの意味の大部分は、こうした他愛のない雑談だと、どこかで書いていましたが、個人的にもそう思います。勉強したけりゃ、一人で読書計画を立ててどんどん読んでいけばいいわけですし。でも、それでは痩せるというか、面白い発想がなかなか出てこないと思います。

 この本でそうしたところをあげろ、といわれれば、そうですねアウグスティヌスとトマス、ルターのあたり。

 プラトンには、イデアの世界と、その模像であることの現実の世界、いわゆる個物の世界という二つの世界を考える独特な「二世界説」がありました。新プラトン主義経由でこのプラトン哲学を学んだアウグティヌスは、プラトンのこの二世界説を「神の国」と「地の国」の厳然たる区別というかたちで承け継ぎ、あの制作的(ポイエーシス)存在論によって世界創造論を基礎づけ、イデアに代えてキリスト教的な人格神を形而上学的原理として立てます(p.96)
 その後、西ローマ帝国の崩壊によって、キリスト教教会は世俗政治に介入するようになりますが、そうなると。  
「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」という聖書の言葉を拠りどころに、神の国と地の国、教会と国家とを截然と区別してきたプラトン-アウグスティヌス主義的教義体系では具合の悪いことが生じてきます(p.98)
 そこでトマスが登場。  
アリストテレスの哲学を下敷にして考えれば、神の国と地の国、恩寵の秩序と自然の秩序、教会と国家とが、アウグティヌスにあってのように絶対の非連続の関係にあるものとしてではなく、もっと連続的なものとして捉えられ、ローマ・カトリック教会が国家なり世俗の政治なりに介入し、それを指導したとしても当然だということになります(p.103)
 当然、腐敗は加速。そこで出てきたのがルター。  
教会や信仰の浄化を目指すルターの改革運動は、当時まったく逆の動機から、ローマ・カトリック教会の桎梏を脱して、近大国民国家の建設をはかる政治勢力によって推進されていたナショナリズムの運動と完全に利害を共にしていたため、その強力な後援を受け、思いがけない成功を収めました。
 いやー、いいですねぇw

 ハイデガーは周囲がユダヤ人で固められていたから、ナチス(厳密には突撃隊)の支持者だったとはいえ、ユダヤ人差別などはできなかったろうとか、ハイデガーにはいやらしいところがあって、カトリック系の大学での教授職を得るためにいったん離れたカトリックに接近するとかの話なんかも面白かったですね(p.202-)。

 なんか昨日朝から小田中先生のネタ帳が「プライベートモードになってます」というのでおかしいな、と思い、後で自分のブログのアクセス解析してみたら、1時間で500を超えるのが続いていて、なんだろ…と思ったら更新停止のお知らせがありました(小田中先生のネタ帳では、有り難いことにLink先に錚々たる先生たちのサイトとともに並べていただいていたので、何か知ってるのかと勘違いされた方が多かったのでしょうか…)。

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/

 まあ、小田中先生の場合は「雪斎の随想録」みたいな理由はないのかもしれませんし、ご本人も書いているように「しばらくは地道で地味ぃな実証研究にはげむ所存」ということなのでしょうが、なんか、ひとつの曲がり角にきているのかもしれません。

 こうした更新停止や閉鎖などの問題に関しては、ぐっちーさんの

《また、事あるごとに「根拠を示せ」、という傍若無人なメールも来る。
自分で調べなさい!! って。 
さもなくば、「正当な対価をお支払いしますので調べてみていただけますでしょうか」、というのが礼儀でしょう。読者の大いなる勘違い、非常識がこういう優良な書き手を駆逐していく。そして残るのは限りなくくだらん、どうでもいいブログだけ》

というのには同情しました。

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