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February 29, 2008

『昭和の名将と愚将』

Showa_meishow

『昭和の名将と愚将』半藤一利、保阪正康、文春新書

 半藤一利さんと保阪正康さんが、昨年の3~9月号のオール読物に連載していた名将篇に、新たに愚将篇を加え、昭和の代表的軍人22人を俎上に載せた本です。

 名将篇で語られているのは栗林忠道、石原莞爾と永田鉄山、米内光政と山口多聞、山下奉文と武藤章、伊藤整一と小沢治三郎、宮崎繁三郎と小野寺信、今村均と山本五十六。

 一方、愚将篇でコキ下ろされているのは服部卓四郎と辻政信、牟田口廉也と瀬島龍三、石川信吾と岡敬純、それに特攻隊の責任者である大西瀧治郎と冨永恭次と菅原道大。冨永恭次と菅原道大などのような、学徒出陣した隊員たちに「自分たちも後で行く」とか言って戦後も生き延びたようなニンゲンのことを語られると、怒りで頭の血が沸騰しそうになります。ほかにも辻政信、牟田口廉也、石川信吾なども読んでいるだけで震えるほど許せませんな。

 印象に残ったのは半藤さんが語っている《私は太平洋戦争は薩長が始めて、賊軍が終わらせたという持論なんですよ》という言葉。《米内正光は盛岡藩、井上成美は仙台藩、鈴木貫太郎が関宿藩》《彼ら賊軍の人は、自分たちが国を造ったという自負がある薩長とは違う視点で、最後に愛国心を発揮して、ここで戦争をやめないと国が滅ぶのでは、と頑張ったんじゃないでしょうか》(p.71)というあたりはなるほどな、と。

 しかし、惜しいなと思うのは山口多聞中将。日本の海軍では数少ない見敵必戦型の猛将タイプ。見敵反転タイプの栗田なんかとは大違い*1。ミッドウェーでも唯一残った古くて小さな空母「飛龍」でヨークタウンに襲いかかり、一矢を報いていますしね。山口多聞中将が艦と運命を供にしなければ、もしかして《避敵行動が目立って不信感があった栗田健男》(p.123)に変ってレイテ湾に突っ込んでいってくれたかもしれません。

 このレイテ湾で囮艦隊をやらされた小沢治三郎中将はハルゼーの機動艦隊を引き付けるという損な役割を担ったのですが、これを聞いた小沢治三郎は命令を出した豊田副武連合艦隊司令長官に対して《本気で戦うなら豊田が「大和」に乗ってレイテ湾に殴り込めと言っていきまいたそうです》(p.123)というのは悲痛なエピソードだな…。せっかく自分がパーフェクトな役割を果たしたのに、肝心の攻撃本隊が反転しちゃたまりませんよね…。

 小沢中将の場合、マリアナ沖海戦で発案した画期的なアウトレンジ戦法も、福留繁連合艦隊参謀長が暗号書を奪われた結果、作戦がバレバレになっていて台無しという、身内から足を引っ張られまくられた悲劇の提督ですね。小沢提督について"モリソン戦史"(History of United States Naval Operations in World War 2)であまりに有名な海戦史家サミュエル・エリオット・モリソンが「近代戦にふさわしい科学的リーダーシップをそなえた名提督」と高く評価したというのは、この本でも頷けます。

 最後に閑話休題。

保坂 海軍上層部の事なかれ主義は、仲間をかばうことと引き替えに責任をうやむやにしました。

半藤 海軍というのは本当に"仲良し海軍"なんですよね。ですから、誰かの責任を追及するということは一切しない。ミッドウェー海戦に負けようが、あそこで負けようが、ここで負けようが、責任を追及するのはやめておこう、と。

保坂 仲間うちのインナーサークルみたいな世界だけでガチッと利益を守ろうと、という体質なのですね。

半藤 だからよく言われるんです。「海軍は、海軍があって国家がない」と。いまの官僚機構と同じですね。

 半藤一利さんは「いまの官僚機構と同じですね」と語っていますが、イージス艦あたごと漁船の衝突事故をめぐるゴタゴタを見ていると、「海上自衛隊も"仲良し海軍"と同じですね」と言いたくなってしまいます。「さすが伝統墨守 唯我独尊の海上自衛隊」なんて言われたら、先輩たちが草葉の陰で泣きますぜ…。

*1

座談会 だれが真の名提督か VOL.3

司会 次は栗田健男中将。(38)
小島 栗田さんはもういいよ。(笑) あの人は開戦時に第7戦隊司令官だったが、第一段作戦ですでに前に出ないんだよ。危険な局面を避けてばかりおる。そのときにもう評判が悪かった。
司会 バタビヤ沖海戦でしょう。
小島 そうです。敵と反対の方向へ航路をとっている。第7戦隊がどこに行ったのか、輸送船の護衛隊にも分からない。所在がわかるとずーっと後ろだ。全然関係ないところに居る。僕はあとで、第7戦隊の先任参謀に、いったいどこにおったんだと聞いた。先任参謀いわく、軍令部から、第7戦隊を大事にして下さいと言われたという。大事にして下さいと言われて後ろにいるやつがあるものか。ミッドウェー海戦でも重巡「最上」と「三隈」が衝突し、「最上」が微速前進が可能となると「三隈」に護衛を命じて、自分は健在な2艦を率いてさっさと敵空襲圏外に脱出している。そのあと「最上」「三隈」は空襲を受け悪戦苦闘する。僕のクラスの者が「最上」艦長をしていた(注 曽爾章大佐 44)。あのとき「最上」は沈まなかったけども「三隈」は沈んだ。栗田司令官は早く逃げ出しちゃって、どこへ行ったか行方をくらまし、聯合艦隊でも所在がつかめなかった。
野元 栗田さんについてはだいたい小島君の意見と同じだ。昭和13年 私が第3戦隊の先任参謀しておったとき、栗田さんが戦艦「金剛」艦長だった。その時の研究会で言われることが、生意気なようだが頼りない。いろいろ栗田さんを批判するのは気の毒なんだけども、海軍が実戦部隊の経験ばかり尊重するから、彼も教育する機会もなかったのがいけないのだな。
黛 私もまったく同感ですね。

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