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February 10, 2008

『占領と改革』

Senryo_tokaikaku

『占領と改革 シリーズ日本近現代史 7 』雨宮昭一、岩波新書

 2ヵ月遅れでようやくシリーズ7冊目が出ました。

 結論から言うと、今回も新たな日本の近現代史に対する見方を得られました。毎回、毎回、それまで常識だったと思っていた見方を変えるようなサプライズを与えてくれます。実を言うと、今回は留保付きなんですが…。

 それはさておき、この本で何が驚きだったかというと、米軍による日本占領が成功したのは

1)政治的には、敗戦を受けいれる段階で旧陸軍を中心とした国防国家派に対して自由主義派などの反東条連合が政治的に勝利し《統一性を持った政治指導部がすでに形成されていた》(p.21)
2)社会経済的には、日本はすでに《国家総動員体制(総力戦体制)によって社会が変革され》《社会関係の平等化、近代化、現代化が進行》(p.4)していた

 という条件があったからだ、というんですね。

 そして、米軍による日本占領が米国のサクセスストーリーとして語られ、日本側でもソ連じゃなくってアメリカに占領されてラッキーだったという史観は、日本の自己認識の問題でもあると同時に、アメリカにとっても大いなる幻想となってイラク問題などでも尾をひいており、そういった意味でも《アメリカの長い戦後はまだ終わっていない》(はじめにvii)という世界的な問題も含んでいる、と。

 確かに新しい見方だと思います。

 ただ、個人的には、ちょっと修正しすぎかな、と。

 アメリカ軍による日本占領の驚異的な成功は確かに奇跡的な出来事だったとは思いますが、後で失敗が続いたからといって否定されるべきことではないと思いますし。

 また、間接的ではあるけれども、個人的な経験を踏まえても違和感があります。去年、沖縄で教科書から集団自決の日本軍関与が消されたというとんでもない暴挙に対して大集会が開かれましたが、その中で高校生が、日本軍関与の否定は祖母や祖父から聞いた話しとは違うから間違っているんだ、と語っていたが印象的でした。別に歴史は歴史家だけがつくるものでないし、集団自決における日本軍関与の否定というのは小泉政権の中に紛れ込んで安倍政権の中で一時的に繁茂した〝自慰史観〟論者たちの戯言にしかすぎませんが、とにかく、個人的な問題に移しますと、ぼくの場合も主に祖母や叔母たちから聞いた話から判断して、反東条連合の存在は決定的な要素だとは思えないし、国家総動員体制は憲兵や住民相互による監視という息の詰まるような社会であり、とても平等化、近代化が進んだとは実感できないと思います。

 この妙な違和感は片山、芦田政権に対する筆者の高評価にも感じます。これも、祖母や叔母たちからの伝聞ですが、片山哲は「口ばっかりのぐず哲で、社会党というのは頼りない政党だということがよくわかった」人物であり、芦田均に関しても「キレイなことをいっている人間こそ実は汚職まみれ」という印象を持っています。

 まあ、とにかく、いくつかみていきましょうか。

【近衛が接着剤となった反東条連合】

 著者の認識はミッドウェー海戦の敗北あたりから《総力戦体制の推進派である社会国民主義と国防国家派の連合に対して、総力戦体制に反対する反動派と自由主義派の対抗》(p.9)が生じた結果、日本の降伏は早まった、としています。

 連合国側は日本の降伏は1945年11月まではかかると見ていました。それは日本が本土決戦をするかもしれなかったからです。本土決戦が行われていたら、おそらく日本において中央政府はなくなり米国、ソ連などによる分割統治が行われていたと思われますが《それが阻止できたのは反東条連合による勝利による統一性をもった政治指導部がすでに形成され存在していたから》(p.21)だとしています。

 当時、戦争の帰趨をめぐっては1)陸軍の本土決戦派2)天皇の一撃和平論3)近衛などの早期和平論ーが対立していました。

 しかし、昭和天皇が夢想していた一撃和平論はレイテ湾における栗田艦隊の謎の反転でついえて(まさに旧帝国海軍は、たらふく食べて敵前反転ばかりしていたby『昭和陸海軍の失敗』半藤一利、文春新書、2007という感じですね…情けない)、近衛が接着剤となって自由主義派と反動派が結びつき、徹底抗戦派を抑えていき、鈴木貫太郎内閣によってポツダム宣言を受諾した、と著者は主張。《あと、三、四カ月敗戦が遅れた場合には本土決戦になり、ドイツのように政治指導部の壊滅あるいは不在という状態の中で、日本が複数の国による分割占領になることは十分にありえた》(p.37)としています。

【反東条連合は戦後も続いたんでしょうかね?】

 しかし、どうなんでしょうね…陸軍と革新官僚を共産分子呼ばわりして批判した近衛奏上を重くみすぎというか…。近衛自身も45年10月4日のマッカーサーとの会談で新しい憲法をつくることを任されたと勘違いしたあげく、12月16日には戦犯容疑での逮捕を前に自殺してしまいますしね。

 著者の主張を展開するならば、もっと自由主義派と反動派による連合が権力を継続して持つという状況が想定されるべきだと思いますが、ゴタゴタのあげくに落ち着いた自由主義的な吉田茂内閣が意外にも長く続いたということはあるにせよ、敗戦直前から戦後も続いた権力基盤というのはちょっと個人的には想定できないかな…。著者はニューディール派が多かったGHQが石橋、鳩山、平野力三などを公職追放させたから、といいたいのかもしれませんが(p.49)。

 憲法問題に関しては、宮沢素案をGHQ民政局のホイットニーが「極めて保守的」と批判したが、はたしてそうだろうかと点検しているところは面白かったですね(p.71-)。

【片山、芦田内閣と天皇退位】

 著者は《片山、芦田内閣は二〇年代以来の修正資本主義、協同主義の歴史的継承者であった》(p.132)としていますが、うーん、個人的には違和感を覚えます。ぼくは戦前の国家総動員態勢は岸信介らの革新官僚が主導権を握って行ったものであり、彼らはその限界を感じていたからこそ、戦後は自由主義的な方向を意識的に選択し、自らエリートとしての責任をとっていったんだと思います。少なくとも片山、芦田内閣には、そうした明確な意志は感じられないんですが、どうなんでしょうかね。

 49年1月に行われた総選挙では佐藤栄作運輸次官、池田勇人大蔵次官、前尾繁三郎大蔵省主税局長、岡崎勝男外務次官などが当選しましたが(p.160-)、こうした総動員体制をつくった際には課長クラスとして現場責任者の立場にあった者たちが政界に進出し、それを革新官僚のドン的な立場だった岸信介が糾合していったという感じではないかと個人的に思っているのですが…。

 片山、芦田の「中道」内閣はヨーロッパにおけるキリスト教民主主義と共通するものでもあったという指摘はなるほどな、と思います(p.173)。でも、個人的には片山がクリスチャンでマッカーサーも片山内閣発足の際にクリスチャン首相の誕生を喜んだというエピソード以上のものは感じられないです(p.135)。

 また、著者は昭和天皇は退位する覚悟をしていたと想定しています。《実行は非常に難しいことではあるが、天皇の戦争責任について言うと、少なくとも占領期にはその意志があったにもかかわらず、アメリカによって阻止され、政治体としての自立性を奪われた》(p.47)《天皇退位問題に対する日本人、とくに天皇自身やリーダーたちの見解は、責任をとる主体的条件が十分存在していたことを示しているだろう》(p.151)としていますが、これも違和感を覚えます。

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