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February 23, 2008

『昭和天皇』

Showa_tennow

『昭和天皇』原武史、岩波新書

 ざっくり言えば、大正天皇の皇后であり生母の貞明皇后の強い影響を受け、明治期につくられた伝統であるにもかかわらず皇室祭祀に熱心に取組む「祈る昭和天皇」という新しい側面を強調しています。貞明皇后は美しく近代的な女性で、大正天皇ともども皇室祭祀にも熱心ではありませんでしたが、大正天皇が脳病に犯されたのは神事をおろそかにしたことで神罰が下ったと思い始め、息子である昭和天皇にプレッシャーをかけた、といいます。また、第二次世界大戦中、本来は平和の神であるアマテラスに戦争勝利を祈り続けたことを反省し、戦後もひたすら平和を祈った、というストーリー。

 貞明皇后は《筧克彦が提唱する「神(かむ)ながらの道」にのめり込み、皇太后になる昭和期に入ると、さながら神がかりの傾向を強めていった》(p.10)といいます。昭和天皇の和歌にもこうした傾向がみられ《「祈る」「をろがむ」「をがむ」を合わせた「いのる」が含まれた昭和天皇の和歌は、四十二首にのぼる》(p.17)といいます。

 湯を浴びる習慣をもたなかった明治天皇は潔斎を嫌い、日清戦争後は宮中祭祀に出なくなります。これは明治時代に後期水戸学の影響でつくられた宮中祭祀を「にせの伝統」とみなしたほか、伊勢神宮と霊の交通があると信じるなど自らが生神であると考えていたからでもあった、と(p.25)。

 大正天皇も御用邸暮らしを好み、宮中祭祀には熱心でありませんでした。二代続けて掌典長を出した九條家生まれの貞明皇后も、昔は女官が行っていた祭祀を天皇自ら行うことに疑問を持って牧野伸顕宮内大臣に負担軽減を求めていますが、大正天皇の病気をキッカケに「真実神ヲ敬セザレバ必ず神罰アルベシ」と話すぐらい逆に異常なまでの熱心さを持つようになります。それは《琉球王国における聞得大君と比較されるべき》とまで筆者は書いていますが(p.142)、その子である昭和天皇も自分が光厳院以降の北朝の血を引いていることへのコンプレックスから、アイデンティティを三種の神器に求めるようになり、八咫鏡の分身が安置されている賢所や宮中三殿を聖なる空間とみなすようになった、と(p31)。

 あと、面白かったのは皇太子時代などに地方巡幸を熱心に行っていた昭和天皇にはアナキストなどからもよく直訴状が差し出されたというあたり。溥儀が貞明皇太后を西太后に重ね合わせていた、というのも面白かったかな(p.104)。

 また、秩父宮は陸軍士官学校時代、北一輝に私淑する西田税と同期で、東京の第一師団時代には2.26事件を起こした一人の安藤輝三と親しくなっていったそうで、2.26事件の前には昭和天皇に代わって即位するという噂がたったそうです(p.98)。このため昭和天皇は秩父宮を青森県弘前に流離させますが、2.26事件が起こると秩父宮は27日夕刻には東京に戻ってきたそうです。昭和天皇は2.26事件で、その人生で唯一といっていいほどの人間的な怒りを見せますが、こうしたことも背景にはあったのかもしれません。

 あと、天皇はカトリックに関心を持ち、有力な次期教皇だったというスペルマン枢機卿とも会い、ローマ教皇庁も天皇の改宗の機会をうかがっていたとのも笑えました(p.179)。

 食糧自給率の問題から、衰退する一方だった日本の農業には今後、見直しが入ると思います。その場合、新嘗祭を頂点とする宮中祭祀にも注目が集まっていくんじゃないのかと思っていただけに、この本はタイムリーな感じでした。

 ただ、あまりにもキレイにまとめすぎという感じもあるので未読の『昭和天皇(原題はHIROHITO) 』ハーバート・ビックスでも読んでみようかな、と。

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